朝鮮学校の無償化適用見直し法案パブコメへの意見ーひとことで言うと、「恥を知れ」ということ

 朝鮮学校の無償化適用見直し法案(公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する 法律施行令の一部を改正する政令案等)のパブリックコメントに対し、意見を送っておいた。
 意見受付の締め切りは今月26日なのでまだ時間はある。真っ当な常識があればこれは恥ずかしいことなのだから、反対意見の内容や分量には、実は政府は神経を尖らせているのではないだろうか。

(以下、私の意見)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この省令案の概要を一見しただけでは、無償化適用から朝鮮学校を除外するものであるとは分からない。このような不親切な記述は、国民から広く意見を求めるべきパブコメにはふさわしくない。まず、この点、善処を要請する。
 特にこの問題は当初、無償化の方向で進めていたにもかかわらず、中途で保留とし、ついに無償化の道を絶とう、という理解しがたい過程をたどっているだけに、詳細な理由説明が必要なはずだ。それを積極的にしようとしないのは何か他意でもあるのかと疑いたくなる。
 実際、朝鮮学校への無償化は2010年の同法施行後、遅ればせながら適用とする方向で政府は動いていた。それをとどめたのは周知の通り、朝鮮の韓国への「砲撃事件」があったためだった。
 だが、韓国と朝鮮の衝突という外交問題であるにもかかわらず、朝鮮学校に通う在日朝鮮人の子たちの教育権に結びつけるのはどういう発想だろうか。外交問題の責めを国内にいる当該の国の子に押しつけることには、納得しうる合理的な理由は見いだせない。それまでの経緯から言って、本来なら時期を見て、逆に無償化に踏み切らねばならなかったはずだ。にもかかわらず、今度はついにその道を絶とうとしている。
 一般紙によると、「朝鮮総連に就学支援金が授業料以外に流用される恐れがある」ことなどを文科相は理由としてあげているというが、そのようなことは事後チェックで幾らでも分かるはずであり、とってつけた言い訳にしか聞こえない。
 朝鮮学校の無償化除外の省令には、その裏付けとなる正当な理由がないと言わざるを得ないのいだから、これは砲撃に対する「懲罰」であるとしか考えることができない。それにしても日本政府は、子どもに懲罰を与えるようなことをして恥ずかしくないのだろうか。私は日本国民の一人としてとても恥ずかしい。
—「あなたの祖国が外交上問題を起こしたので、あなたたちに責任をとってもらいます」「われわれはあなたたちだけを差別的に取り扱います」—
 このようなことを法律として明文化するのは後世に残る恥であり、世界に顔向けできない恥である。そういう恥ずかしいことを堂々とやってしまっていいのか、政府はもう一度、冷静に考え直すべきだ。
パブリックコメント:意見募集中案件詳細|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ
[省令案の概要]

公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金 の支給に関する法律施行規則の一部を改正する省令案の概要
1.現行制度の概要
高等学校等就学支援金制度(以下「就学支援金制度」という。)の対象とな る外国人学校(各種学校であって、我が国に居住する外国人を専ら対象とす るもの)は、現在、公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学 支援金の支給に関する法律施行規則(平成22年文部科学省令第13号)第 1条第1項第2号において、次の3つの類型を定めている。
(イ)大使館を通じて日本の高等学校の課程に相当する課程であることが確認 できるもの(民族系外国人学校)
(ロ)国際的に実績のある学校評価団体の認証を受けていることが確認できる もの(インターナショナル・スクール)
(ハ)イ、ロのほか、文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に 類する課程を置くものと認められるものとして、文部科学大臣が指定した もの
2.改正の概要
上記のうち、(ハ)の規定を削除し、就学支援金制度の対象となる外国人学 校を(イ)及び(ロ)の類型に限ることとする。
※現時点で、(ハ)の規定に基づく指定を受けている外国人学校については、当分の間、 就学支援金制度の対象とする旨の経過措置を設ける。
3.施行日
公布の日から施行

 なお、以下を参考にした。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1929030.html

安倍政権の「ヘソ」は極右・稲田行革相ではないか−あるいは放置される人々

 政権発足直後から「金融緩和」「インフレターゲット」「財政出動」を公言したせいで、ご祝儀相場と思われる以上に、「円安」「株高」が進み、安倍内閣への景気回復の期待はさらに高まりつつある。たとえばこのブログ、

 幸いにしてアベノミクスを好感し、市場は円安と株高基調になっている。これを継続し、資産価値の上昇を消費拡大につなげて欲しい。そのための金融緩和であり、財政出動だ。失われた20年、財政出動は常に行なってきたが金融緩和はおずおずと実施してきた。賭けではあるが、この2つを思い切り実施しなければ、今と同じ状況、つまりデフレによる日本経済の緩慢とした死から逃れられない。
やり切るしかない。そして財政出動による景気上昇が続いている間、円安を背景にした輸出産業の競争力回復が間に合うか。それが勝負どころと思う。
そこまで行きつけば、日本経済の再生は見えてくる。
安倍政権発足。望むのはただ2つ。経済再生と外交の安定だ。 - 日はまた昇る

 特に内容に目新しいものはないが、いわゆる「保守」と目されるブログ氏の経済復活への切望が語られ、一読に値する。氏は「望むことはただ2つ。経済再生と外交の安定」を掲げて、麻生太郎・財務金融担当相(副総理)、茂木敏充経済産業相らとともに、岸田文雄外相および小野寺五典防衛相の名をあげ、「両氏は、尖閣諸島領有の正当性について揺るぎない信念を持ちつつも、冷静で我慢強い対応ができる人だと思う。評価したい」と期待をこめる。
 さらに、その先への配慮も、一応ある。つまり、

 安倍政権が実施するはずの経済政策は、主にサプライサイドの経済政策だ。これらの政策は、まずは企業の活力を生むことを目標にする。一方、企業に勤める人=従業員の多くは、デフレからインフレに変わっても、当初インフレ率を上回る賃金上昇とはならないだろう。政策が成功し儲ける人がいる一方で、実質賃金が目減りする人が多数発生する。所得格差は(どの程度かはわからないが)拡大すると考えられる。その所得格差が、耐え難いものになったとき、国民は再分配政策を望むはずだ。民主党には、野党時代にその政策を考えて欲しいと思っている。(同上)

…所得格差が広がるだろうと予想しているが、その時、民主党の支持基盤になっている有力な大企業や公務員の労働組合の組合員は、所得格差の拡大における勝者の側にいるだろうと思う。実質賃金が下がり苦しむのは、主に非正規労働者だろう。(同上)

 私も、大企業や公務員以外の労働者−特に非正規労働者が、ブログ氏の書くようなシワ寄せを受けることになるだろうと予想する。単純化していうと、インフレターゲットにより物価は上昇するが、中小企業の労働者や非正規労働者の賃金は滅多なことでは上がらないから生活は一層苦しくなり、しかも金融資産が金融緩和により値上がりし、資産のない者はますます相対的に貧困になるだろう−。
 だが、ブログ氏も懐疑しつつ書いていることだが、「有力な大企業や公務員の労働組合の組合員」が主たる支持基盤である民主党が再び政権を握ったとき、「正社員の解雇要件の緩和」や「正社員と非正規労働者格差是正のための同一労働同一賃金」を実施するだろうか。「正社員」と「非正規労働者」の利害は鋭く対立しているのだ。自分の手で自分の支持基盤にヒビを入れるような方策を、民主党が実施するわけがないと見るべきだろう。この辺りを読むと、このブログが経済的に「中から上」の人々をおもな読者対象としているということがよく分かる。
 それ以上に、次の政権交代までの数年間、格差が拡大することにより貧困化する人々はどうしたらよいのだろうか。仮に経済成長策を偏重し、政治として貧困問題に手を打たなければ、犠牲になる人々の数はまちがいなく増える。
 と、そのような指摘をする以前に、この政権は「弱者」に対しては最初から攻撃的なようだ。

 田村厚生労働相は27日の記者会見で、生活保護費のうち日常生活の費用である生活扶助について「下げないということはない」と述べ、引き下げる必要があるとの考えを示した。自民党衆院選政権公約で掲げた「給付水準の原則10%カット」に関しては、同日の読売新聞などのインタビューで「いきなり1割はきつい。ある程度現実的な対応が必要」と語った。実施時期は「来年4月から下げることを排除していない」として、2013年4月から引き下げる可能性を示唆した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121227-OYT1T01483.htm?from=ylist

26日に発足する安倍新政権は、朝鮮学校に対して高校授業料無償化を適用しない方針を固めた。文部科学相に内定した下村博文内閣官房副長官の強い意向を反映したものだ。朝鮮学校北朝鮮の指導下にある在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)との結びつきがある。安倍新政権は、日本政府が北朝鮮への経済制裁を継続している中で、朝鮮学校を無償化の対象とすることはできないと判断したものとみられる。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121226-OYT1T00014.htm

 これらは一つひとつが深刻な問題だが、簡単に触れると、これから物価を上げる経済政策を取ろうという時に生活保護費を切り下げれば、受給者の生活がどうなるかは誰にでも分かることだろう。あるいは、いかにその母国と敵対的な関係にあるとはいえ、在日朝鮮人の生徒らの教育に関する制度を冷遇することは、法の下の平等原則に反した憲法違反にあたる。
 気になるのは、これらの方策が政権発足早々、厚労相文科相の最初の方針表明の一つとして発表されたことだ。特に後者は、政権自らが「在日朝鮮人への差別」を肯定したということであり、そのような政権の姿勢はこの問題にとどまらず、今後、広く社会に影響を及ぼすに違いない。
 「まあ、今は経済成長を優先させているのだから多少のことはやむを得ない」と人ごとのように思う人も少なからずいるだろうが、気づいてもらいたい。「弱者切り捨て」も、経済成長政策の一部を構成しているのだということに。弱者に対し支援すべきものを支援しなければそのままコスト削減になり、それで弱者が弱り切ってやがて減れば、それまたコスト削減になる話なのだ。だがこれは、弱者や被差別者を抹殺するナチズムと大差ないやり方であるということぐらいは認識するべきだ。
 このように、安倍政権の政策には派手さはある一方で、その分、影も濃いように思われる。たとえば岸田文雄外務大臣岸田文雄 - Wikipedia)、小野寺五典防衛大臣小野寺五典 - Wikipedia)は、 ウィキペディアを読む限り、時にタカ派的な言動をとりつつも極右というほどではなく、どちらかと言えば穏健保守に分類される政治家たちのように見える。
 この2閣僚が今夏の参院選へ向けた「安全運転の担い手」だとしたら、手綱を緩めたらいくらでも暴走しそうなのが、新藤義孝総務相稲田朋美行革相の二人だろう。二人とも、経歴を見る限り、「極右」と呼ぶのがふさわしい活動ぶりだ。
 2011年8月、両人は佐藤正久参院議員とともに韓国の鬱陵島へ向かおうとして、金浦空港で韓国当局から入国拒否処分を受けている。訪問の目的は、言うまでもなく竹島(独島)領有権をアピールするためだ。新藤氏はこのほか、在米韓国人が「従軍慰安婦」という旧日本軍の悪行を後世に伝えるために建てた石碑の撤去を求めて米国に赴いたり、尖閣列島海域の視察を行ったりしており、「行動する右翼」議員という感が強い。
 もう一人の稲田朋美・行革相の経歴や言動は、ウィキペディア稲田朋美 - Wikipedia)に詳述されているが、「極右」とか「狂信的右翼」という言葉が浮かんで来るような内容だ。
 原告側弁護士として関わった、沖縄の集団自決が軍命による強制かどうかを争った「大江健三郎岩波書店沖縄戦裁判」では、「集団自決は日本軍の強制ではない」という見解を示している。さらに、慰安婦に対する2007年6月に成立した「アメリカ合衆国下院121号決議(慰安婦に対する日本政府の謝罪を求めるアメリカ合衆国下院決議)」に対しては、櫻井よしこらの歴史事実委員会が行った「従軍慰安婦は強制連行ではなかった」とするワシントンポスト掲載・全面広告にも賛同者として名を連ねている。
 主任代理人を務めた「南京百人斬り競争名誉毀損裁判」においても興味深いエピソードがある。

(裁判の)経過報告を『WiLL』2006年6月号及び8月号に掲載したが、その際「百人斬り」をしたとされる被疑者の刑死写真を原告団(被疑者遺族)に無断で掲載。更に2006年10月13日に九段会館で行われた「(百人斬り裁判を)支援する会の決起大会」においても、同大会配布資料に刑死写真を無断掲載し、「(百人斬り裁判を)支援する会」及び「英霊にこたえる会」より注意を受けたが謝罪を拒否。「英霊にこたえる会」等は、「稲田弁護士は 弁護士法第一条(弁護士の責務は人権擁護と社会正義実現)に違反している」として、2006年11月21日大阪弁護士会の綱紀小委員会において懲戒委員会に付託するよう請求した。
稲田朋美 - Wikipedia

 稲田氏とは、「百人斬り」裁判を支援している右翼組織から懲戒を求められるほどの「暴走」をする人なのだ。自分の主張のためには手段を選ばないカルトな側面がかいま見られるようで興味深い。
 さらに、以下のエピソードからは、右翼組織からも咎められるような稲田氏の突出ぶりが、一線を簡単に踏みこえて行ってしまうことが分かり、戦慄を覚える。

北海道新聞』は、稲田が2006年8月29日に「『立ち上がれ!日本』ネットワーク」が「新政権に何を期待するか」と題して東京都内で開いたシンポジウムの席上、靖国参拝反対派の加藤紘一と対談したことを紹介し、加藤の実家が右翼団体幹部に放火された事件(加藤紘一宅放火事件)については、「対談記事が掲載された15日に、先生の家が丸焼けになった」と「軽い口調で話した」とし、発言に対する会場の反応について、「約350人の会場は爆笑に包まれた」「言論の自由を侵す重大なテロへの危機感は、そこには微塵もなかった」と報じた。稲田朋美 - Wikipedia
注)このことを、早くからブログで指摘していた人もいた→http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/109433/106485/4155817

 同じ代議士、しかも同じ党の人間が「実家放火」というテロに見舞われたのに、憤らないどころか、話題にして笑いを取るこの状況はいったい何か?ここでは、「右翼テロ」という行為が自然現象か何かのように語られてしまっている。これを書いた記者に偏見でもあるのだろうか。ともかく、これを読む限り、稲田氏は聴衆の笑いを平然と容認してしまっている。先の右翼組織から懲戒を求められたエピソードを知ったあとでこれを読むと、「稲田氏は、政治家の靖国参拝を反対するような人間は右翼テロにやられて当然と考えているのではないか」という疑念が湧いて仕方がないのだ。
 しかも、弁護士だった稲田氏を政界に引っ張ったのは、2005年当時、自民党幹事長代理だった安倍氏なのだし、今回、衆院議員になってまだ7年目の彼女を内閣に引っ張り上げたのも安倍氏だ。まさに「子飼い」。ここまで書いた稲田氏の経歴を知った上での大臣登用−いや、よく知っているからこその大臣登用であるのだろう。その意味では、この政権には右翼テロを容認あるいは黙認する「種」が胚胎されているぐらいの警戒はしておくべきだ。
 「行革相なんて政権の脇役中の脇役だろ」と言う人もいるだろう。たしかに政権の中心は経済・外交・防衛にあるとされる。だから茂木経産相や岸田外相は、安倍政権の「看板」なのだ。
 だが、政治家としての安倍氏が主張してきたのが「戦後レジームからの脱却」であり、政権の大目標が「改憲」であることを考えたとき、この子飼いの行革相こそが安倍氏の政治的願望を体現していると認識する方が自然だろう。
 すなわち極右・稲田氏は、政権の「看板」ではないけれど、安倍首相のアイデンティティたる政権の「ヘソ」のようなものなのだろうと思う。

「嫌中・嫌韓」の友人と呑んで−彼は何に突き動かされているのか

 自民党の大勝に終わった衆議院議員選のあと、「嫌中・嫌韓」の言動に辟易して、しばらく敬遠していた友人に、なぜか会う気になった。
 20代の頃、バイト先で知り合い、今も付き合いの続いている同世代の男なのだが、3年ほど前から突然、反中国・反朝鮮の言動をとるようになった。軍事雑誌「丸」の話をすることもあり、兵器にオタク的関心を抱いていたことは知っていたが、明瞭に口にしたのはその頃が初めてだった。ヘイト発言はしないけれど、「独裁的共産主義国家が自国民の自由を奪い、対外的には増長し日本にさまざまな圧迫を加えてきている」と主張する。去年の尖閣諸島近海の「中国漁船衝突事件」の際にも、私たちは口論に近い議論になった。
 だがそもそも、中国や朝鮮で人々がどのように暮らしているのか実態はよく分からないのだから、本来は分からないことは分からないとしておく以外にはない。にもかかわらず「独裁的共産主義国家」レッテルを張るのは、やはり、「人々がどんな暮らしをしているか」を純粋に考えるより前に、何らかの偏見を持っていたと見ざるを得ないだろう。
 私の友人は天皇への思い入れはない。中国、韓国・朝鮮に対する不信や敵意、侮蔑を口にする点では、「排外主義者」というのが一番近そうだ。ちょうど、そうしたことを口にし始めた頃、彼は職場が変わり、労働条件の大幅な低下に見舞われている。私が知る職場での彼は、仕事熱心−という以上に、デキない仲間の分や、病欠で穴の開いた分までイヤな顔をせず引き受けるような、責任感の強い男。労働条件の悪化が、そういう彼に何をもたらしたか想像できるような気がする・・・。
 このように書くと
一、 そういう労働条件の悪さがもたらした鬱屈や挫折感が排外感情に火をつけたという解釈は安易。
二、 一つの例だけで全体の傾向が言えると考えているとしたら安易。
という声があがるだろうが、気にせず先に進もう(笑)。
 その彼と衆院総選挙後に呑んだ。互いに立場の違いはわかっているので、もはや口論にはならなかったが、彼が民主党政権−特に鳩山、菅両政権−を嫌悪し、自公政権が誕生することに安堵を抱いていることがうかがえた。こちらが「憲法改悪」「徴兵制」「基本的人権の制限」に道筋がつけられつつある話をすると、少し驚きはしたが、ピンとは来ていないようだった。
 なぜか。おそらく、中国の軍事力や朝鮮の「ミサイル」に対抗しなければならないという思いが先に立つからだ。「日本がチベットのように侵略されることを許してはならない」といったことも彼は口にした。といって、繰り返しになるが、彼はヘイトスピーチは決してしない。政府と国民は別、という気持ちがどこかに残っているのだろうか。
 そのような彼であれば、「排外主義」の色はほとんどないが、「愛国」「保守」の思いがこもった次の文章には共感するだろう。

「ところで、本論に入る前に、自己紹介を兼ねて、私自身の政治信条、立ち位置を簡単に説明しておきたい。
・伝統的な価値観を大事にし、小さい政府を志向する。経済政策ではサプライサイドの施策を重視する。
・全体的な方向性を大事にし、個々の政策は柔軟に考える一方、実現可能性を重視する。
・外交においては国益、特に実利を重視する。
自衛隊を正式に軍隊にし、集団安全保障体制に移行すべきと考える。そのために必要な憲法改正を支持している。
 こういった政治信条を持っている。いわゆる保守右派&リアリストと言われるポジション」
「安倍総裁の支持者は、この圧勝を受けて憲法改正や集団安全保障体制の構築を強く期待してくるだろう。正直に言えば、私もその期待している一人だ。
しかし、民主党の蹉跌を考えれば、こういった連立政権内に反対意見がある政策をゴリ押しするのは、決して得策ではない。今は参議院は比較第一党でもなく、過半数を握っているわけでもないことを、忘れないようにしたい。私たち支持者は、あせってタカ派的政策を実現するように圧力をかけるべきでない。まだ我慢の時だ。3年4ヶ月我慢をしてきたのだ。少なくともあと7ヶ月の我慢はして当然だと思う」
自民党、政権復帰。しかし、圧勝に浮かれてはいけない。 - 日はまた昇る

 この文章は、沖縄の反基地感情が極点まで高まり、日米安保体制を大きく動揺させている事実に触れていないことなど、手前勝手なタカ派的論法が含まれているが、包括的な視点による記述に共感する人も少なからずいるだろう。
 さらに、私の友人の認識は、ネトウヨ在特会をインタビューした安田浩一氏の記事とも重なる部分があると感じる。

「左翼だろうと労働組合だろうと、あんなに恵まれた人たちはいませんよ。そんな恵まれた人々によって在日などの外国人が庇護されている。差別されてるのは我々のほうですよ」
「なにかを「奪われた」と感じる人々の憤りは、この時代状況にあって収まりそうにない。おそらくナショナルな「気分」はまだ広がっていく。しかしそれは必ずしも保守や右翼と呼ばれるものではない。日常生活のなかで生じた不安や不満が行き場所を求め、たどり着いた地平が、たまたま愛国という名の戦場であっただけではないのか」
[http://s.news.nifty.com/magazine/detail/sapio-20120903-01_6.htm <

 主張の過激さやウエイトの置き方の点で違いはあれ、排外主義や好戦性、隣国への優越感(およびその裏返しの劣等感、後ろめたさ)という諸点では、ここまで書いてきた人々は共通のものを持っている。
 だが、にもかかわらず、安田氏はなぜか、このように「ネット右翼」「在特会」と、既存の右翼との違いにばかり目を向け、分けて考えようとしている。このことは、ネトウヨ在特会と日本社会の関係を考えるに際し、避けて通れない論点だと思う。ネトウヨ在特会を、このように特異な存在として概念化した瞬間、彼らを社会と切り離された「怪物」のような存在にしてしまうことになるのではないか。そうなると今度は、現代に現れ出た「彼ら」という存在から日本社会のありようを検討する回路を、私たちは失ってしまうことになろう。
 その点ではこれもそう。

ネトウヨを「愛国」と読むと分からなくなる。ネトウヨは「嫌韓・嫌中」と読むべき。韓国や中国への嫌悪感が彼らを駆り立てるのであり、愛国心とは関係ない。「反韓・反中」でもない。つまり彼らは政治を語っているわけではない。嫌悪感の発露の場として、たまたま政治というアリーナを選んでいる。
https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/281012135780315137

僕によく分からないのは、ネトウヨの「嫌韓・嫌中」感情がいったいどこから来ているのか。彼らは実際に韓国人や中国人と関わったことがあるのか、ないのか。あと、自民党や日本全体の右傾化とネトウヨの「嫌韓・嫌中」感情とは、関係があるのか、ないのか。
https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/281026131828817921

「嫌中・嫌韓」の来歴が分からない、と想田氏は書いているが、かつて侵略したり殖民地にしてしまった隣国が国力をつけ、戦争犯罪の問題は終わっていないと抗弁困難な主張をもって迫ってきているのだから、優越が覆されるかも知れないことへの危機感、不正義を突き付けられることへの恐怖には甚大なものがあろう。それはネトウヨ在特会だろうと、旧来の右翼、新右翼愛国者保守主義者だろうと、濃淡はあっても共通した感覚なのではないか。
 時代的な要因により、右翼や愛国者には「天皇制という国体」が実感としてあるが、象徴天皇制の下、天皇の存在があまり強くは認識されない現代のネトウヨ在特会にとっては、天皇制は意識しづらいという違いがあるだけだろう。在特会の言動の過激さにも注目は集まるが、若く新しい組織であればありがちなことで、本質的な問題ではないように思われる。
 「嫌中・嫌韓」の来歴とは、歴史的に蓄積されてきたことがらの中にあるのではないか。戦後しばらくは左翼や労組の力もそれなりに強かったが、元来、戦前からの天皇制を温存し、支配層は天皇家を中心に政官財は閨閥のネットワークを形成して指導的地位を保ち、反共を名目に設置された米軍基地が依然として世界の警察官たるべく維持、強化されるのがこの国だ。そういう「空間」で普通に生きていれば、力の法則により排外の引力に引っ張られ、一部は極端な排外主義者になってしまう、というのが私の見方である。
 ん、だとするならば、私のような人間の方が、むしろ特異な存在ということになるね。

辛辣の裏にある「痛み」―余華「ほんとうの中国の話をしよう」

 アマゾンのサイトで「中国」と打ち込んで検索すると、「2014年、中国は崩壊する」とか「中国危機」、「捏造」、「策動」「中国に立ち向かう・・・」など、1ページ目から中国に対し、悪意や敵意をむき出しにした本が何冊も出てくる。「人気度」で検索し直してもその幾つかは上位に来るから、それなりに読まれているのだろう。そういう人たちはどういう読後感を持つのだろうか。「2014年、中国は崩壊する」という題名などは典型的だと思うが、荒唐無稽だったり、そうでなくても事実に基づかない煽りや罵倒が繰り広げられていると思われるこれらの書物を読んでも、たぶん何も身にはつかない。とすると、やはり憎しみや怒りを発散させたり、嗜虐性を満たしたりして、溜飲を下げたくて読んでいるのだろうか。
 中国へは、20年前(広州〜貴陽)と昨年(上海)と、2回行った。短い旅行だから深くは接していないが、外国でいつも感じるのは、自分と大して違わない感情や思いを持ちながら人々が日常生活を送っているということだ。海外旅行がいいのは、異文化、顔、身体、言語、食べ物―など異質なものへの憧れと畏れが、じかに接することによって、いかに自分と同じような人間であるかを実感することではないだろうか。
 だが、だからこそ政治的に利用されやすい部分だとも言える。いかに自分たちと違う異質な存在であるかを煽り立てれば、容易に相手を「怪物化」することができてしまう。ごく最近までは朝鮮(北朝鮮)、今は中国。
 朝鮮や中国を叩くことに喜びを見出した人たちは、叩くこと自体が目的なので手の施しようがない。そうではない人は、余華(ユイホア)の「ほんとうの中国の話をしよう」(河出書房新社)を読むとよいと思う。
 この本は、「人民」や「領袖」「創作」「魯迅」といった10のキーワードを選び、エッセイ風に現代中国社会をつづった本だ。といって、著者は中国社会と日本社会の同質性を論じているわけではない。むしろ逆だ。拝金でデタラメで騒々しく、法治ではなく人治で権威主義的な、テレビニュースなどで私たちがよく見る中国社会が描出される。その書きぶりは、辛辣で露悪的なくらいだ。
 たとえば中国のコピー文化。「山寨(シャンチャイ)」と呼ぶそうだが、毛沢東のモノマネを全国各地から募ってコンテストを開催し、堅苦しい国営のニュース番組のパロディがネットで流され、コケにされる。大晦日に放送される紅白歌合戦のような「春節聯歓晩会」をまねたニセ番組が十数種類、動画サイトで流される。著者が「草の根」と名付ける名もない庶民が作ったものだ。しかも春節が近付くと、それぞれ宣伝カーを走らせ、記者会見まで開いて番組を宣伝するのだという。
 その宣伝文句の一つは、毛沢東の筆跡で「人民の春節晩会は人民の手で、人民のために」。正規の春節晩会に食傷気味の若者たちは、そうした「草の根」たちが制作した山寨版を見て楽しむのだという。
 だが余華はここに、「山寨」の積極的な意味を見出す。「つまり『山寨』現象は草の根文化のエリート文化に対する挑戦、民間の政府に対する挑戦、弱者の強者に対する挑戦なのだ…社会矛盾が普遍化、先鋭化したために、世界観や価値観に混乱が生じて『山寨』現象を招いた。『山寨』現象は、蓄積された多種多様な社会的感情が爆発して広まった反権威、反主流、反独占の社会革命なのだ」(「山寨」)と。
 このように余華は、奇怪だったり醜悪に見えたりする出来事のウラにある真意、隠された意味を描き出そうとする。
 特筆すべきは、現代中国の急激な経済発展が、かつての激烈な文化大革命リバイバルだと指摘した箇所だろう。
「革命はもはや武装闘争ではなく、頻繁に行われる政治キャンペーンという形で示されるようになった。そして、大躍進時代と文化大革命の時代に、それぞれピークを迎える。その後、中国は改革開放の姿勢を世界にアピールし、革命は消えたかに見えた。しかし、30数年の間に起こった経済の奇跡の中で革命は消えることなく、形を変えて再登場している。言い換えるなら、わが国の経済の奇跡の中には、大躍進式の革命運動があり、文革式の革命的暴力もあったのだ」。(「革命」)
とし、都市開発のため、有無を言わせず住居から住民を暴力的に追い出す例がふんだんに示される。そして、それを裏打ちする毛沢東の言葉。
「革命は客を招いてごちそうすることでなければ…そんなに穏やかで謙虚なものではない。革命は暴動だ」。(「革命」)
 同時代を生きる中国の人々が、いかに政治と経済の激流にもみくちゃにされながら生きているかが分かる。少し想像力を働かせれば、単に「拝金」と嗤ってすませられる話ではないことにも気づかされる。
 「中国の激しい政治運動において、革命と反革命紙一重の違いしかない。世間の言い方では、焼餅(シャオピン)をひっくり返すようなものだ。あの時代、人々はかまどの土手に貼りつけられた焼餅に過ぎず、運命の手で気ままにひっくり返された。昨日の革命家が、今日は反革命分子になってしまう。今日の反革命分子が、明日は革命家になるのだった」。(「草の根」)
 余華の視線の射程は深い。その根拠として、彼は「痛み」の感覚をあげる。「痛み」こそが他者と共有し合える感覚なのだと。
 少年紅衛兵のまねごとをして暴れていた少年時代、貯めた食料配給券で買い物しよう(これ自体は違法である)と地方から出てきた農民をリンチし、得意げに当局に引き渡したエピソードが痛みとともに語られる。幾多の誤りを犯したのちに辿りついた心境なのだと思われる。
 おそらく同書の読者はごく少数に限定されるだろうが、「崩壊」とか「捏造」「危機」といった形容詞で語られてしまうほど、中国は―世界は単純でも乱暴でもない、ぐらいのことは、このさい言っておいてもいいだろう。
 最後に―
 余華「今日の中国はまったく変わってしまった。激烈な競争と巨大な圧力が、多くの中国人の生活を戦争状態に陥れている。このような社会環境では、弱肉強食、詐取強奪、ペテンが当然のように流行する。分に安んじる者はしばしば淘汰され、大胆果敢な者がしばしば成功を収めるのだ。価値観の変化と財産の再配分は社会分化を促し、社会分化は社会衝突をもたらす。今日の中国にはすでに、本当の意味での階級と階級闘争が生まれている」。(「領袖」)

ほんとうの中国の話をしよう

ほんとうの中国の話をしよう

あるフリーライターの尖閣予測への疑問

 一昨日、中国共産党の第18回党大会が開かれた。これに関係することなので、あまり日を置かないよう、書いておくことにする。
 尖閣問題がクローズアップされて間もなく、ふるまいよしこ氏という、おもに中国関係のことを書くライターのツイッターアカウントをフォローした。次のような真っ当と思われるツイートを読んだからだ。
@furumai_yoshiko: 今回の騒ぎで、「これまでは棚上げ論だったけど、もうそれは崩れた」論が出ているけど、どうして、「日本が国有化」という事実が「中国が棚上げ論の延長として同意するはず」と思い込んでる人がこれほど多いんだろうか。
@furumai_yoshiko: 承前)「国有化=棚上げの延長」は日本の論理であって、それを中国に納得させることができていないから今の事態が起こってるのに。それに気づかず、「中国側が棚上げ論を蹴った」という言いかたはおかしいっすよ。「自分は仕方なかった、だから相手も同じ立場に立って自分に同調してくれ」はありえない。
 しばらくして今度は、ふるまい氏からニューズウィーク日本版で連載しているコラム記事の紹介があったのでそれも読んだ。
日中領土外交のデッドライン | ふるまい よしこ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 この11月8日という遅めのスケジュールはいったい何を意味するのか、ちょっと気になっている。というのも、今の、いつ終わるとも知れない、尖閣諸島の国有化を巡る激しい日本バッシング(すでに反日では物足りない)を、中国は新たな指導部がその最初の1ページを開く時までには収束させたい、つまり新指導部には様々な意味で新たな一歩を踏み出させるのではないか、とわたしは考えているからだ。

 中国政府が、党大会の日までに日本バッシングを収束させようとしているのではないかという予測記事だった。だが、その根拠としては、党大会の開催が大幅に遅れていることのほか、中国政府が国民感情を顧慮せず「対決」から「友好ムード」にとつぜん舵を切ってきた過去の例、日本文化や日本製品を介した日中民間の関係の深まりーなど、核心的な根拠が書かれておらず、あまり説得力を感じなかったので「論の運びが主観的。大胆すぎる仮説じゃないだろうか。」とツイートした。
 すると、ふるまい氏から、別の記事燃え広がった反日デモと「愛国」の正体 | ふるまい よしこ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイトは予想が当たったのだ、という返事が来た。
 で、これも読んだ。一読して引っかかったのは、「反日デモ」を「官製デモ」と規定していたことだった。そこで、以前読んだ時事通信記者が書いた記事を送った。

 それは複数の中国政府当局者が口にした「もはや反日も、愛国もコントロールできない」という現実である。明らかに2005年や10年の時と違う政府当局の「開き直り」を感じざるを得なかった。 「尖閣対立」本格化から1カ月 日中関係はどう変わったのか 「冷静」から「緊張」局面へ WEDGE Infinity(ウェッジ)

 だが、ふるまい氏はこの記事をすでに読んでいて、評価していないのだという。
 私はもう一つ、あのデモに「本当に貧しい人たちの姿はそこにはない」と書かれていたことにも疑問を感じていた。一般紙に、
西安反日デモで暴徒となって日本車に乗った中国人を襲ったのは日雇い仕事をする最下層の男性」
山東省青島で日系スーパーを襲ったり、広東省シンセンで日本車を壊したりした若者も、サイ容疑者と同様に貧しい農村から出稼ぎに来た労働者が大半だったことが分かっている」
とあったからだ。
 これに対し、ふるまい氏は、本当に貧しい人々はデモに加えてもらえないとした上で、「この国は非常に複雑です。そのうちの1つ2つをあなたが想像できる範囲で形にはめ込んでも「事実」とは違うのですから」と応答してきた。
 まあ、こう言われてしまっては、川崎在住の私としては応えようがない。ふるまい氏が「官製デモ」と断言していることは尊重したい、と応じて終わりにした。
 しかし、特に後者のコラムはもう一読しても疑問が消えない。先ほどのデモ構成員の分析もそうだ。

 1つは日頃から政府や国の威光を借りて好き勝手をしてきた人たち。つまり、政府系の機関や国や権力をバックに儲けてきた企業関係者だ。・・・もう1つのタイプは、国の発展に自分の発展を重ね合わせ、そこに自分の夢を描いている人たち。まだ若く、地方から都会へ出てきて「新しい何か」が自分を待っているはずと期待している人たちだ。

 とするならば、さっきのサイさんのような層の人々は分析から漏れているということにならないか。新聞によると、こうした人々が暴徒化した、とあり、今回の反日デモ分析には不可欠な人々と思える。分析から漏れたということは、デモに参加したすべての層を把握しきれていないということになる。すると、これを「官製デモ」と断定することには無理が出てくるはずだ。
 たしかに国営メディアは人々を煽りに煽っただろうから、官製デモ的な側面はあるとは思う。だが、「官製デモ」と「官製デモ的なデモ」は、コントロールが可能か否かにおいて別のものだろう。この点については、先ほど紹介した時事通信記者の記事の方が、私は首肯しうる。
 このことは、ふるまい氏の反日デモ全体の原因分析にも関係してくる。

 デモの規模が拡大、行動が激化し、そして街頭だけではなく税関でも日本からの輸入品に念入りな検査が行われるようになり、経済監督機関の工商局が日系企業に「検査」と称して踏み込んで徴税。さらに漁業管理当局が1000隻もの漁船を威嚇のために出港させるに至り、これほどの国家権力を動かせるのは貧しい人たちの不満でも、指導部の一部の反乱でも、もちろん失脚した人間の悪あがきでもないことが明らかになった。
それをできるのは唯一人、国家主席である胡錦濤だ。つまりこの一連の騒ぎは、胡錦濤の命令で引き起こされたとみられる。だが退陣間近の国家主席がなぜ、10年間の自分の在位中に急速に発展し、築き上げた「繁栄する中国」を破壊し、その様子を日本だけではなく世界にさらしたのか。
その答えは「メンツ」だ。

「愛国」にすり替えられたこの「メンツ」こそ官製デモを引っ張り、統率するポイントだった。

 なるほど、こう読むとたしかに、「党大会の日までに日本バッシングを収束させようとしている」という予測に一本につながることが分かる。「野田にメンツをつぶされた胡錦涛」→「各方面に手を回して強烈な官製デモ」→「人々はまだ怒りが収まっていないにもかかわらず、そうしたことは顧慮せず節目の党大会で局面切り替えに動く中国政府」―
 だが、(釈迦に説法だろうが、)中国政府が「集団指導体制」だということを考えれば、このような単純化は、「予想」を誤らせる原因になってしまうのではないか。胡氏が独裁的権力を確立しているのならともかく、そうではないのだから、「党大会で日本バッシングを切り替え」と、簡単にはいかないだろう。むしろ、次のような分析の方が、私はしっくり来る。

 9月11日、APECで両国外相会議の後に、野田総理は、胡錦濤主席と非公式に言葉を交わし、中国側は胡錦濤も楊潔 外相も国有化だけはやめるよう要求しますが、玄葉外相も野田総理もその意味がわからなかったようです。胡錦濤温家宝は、沈黙を守って解決策を探っていたのですが、その「落とし所」とは、訒小平 の「尖閣棚上げ論」でした。つまり、①両国が互いに「自国固有の領土」と言いっぱなしにし、相手の主張は否定しない、②日本が「実効支配」していても、声高には言わない、そうすれば訒小平の「棚上げ論」の時の条件と同じで中国内のタカ派を説得出来る、と考えていました。
ただし「棚上げ論」をすぐに出すと、タカ派から「妥協的・譲歩的」と批判されるため、時間が必要だったのです。
 「国有化」は訒小平の「棚上げ論」の時にはなかった条件だったので引っ込めるよう求めたのです。しかしこの会談の2日後に、野田政権は「尖閣国有化」を閣議決定します。こうなると、胡錦濤タカ派を説得できないし、習近平タカ派に接近しない限り次期指導者への道が危ういものとなります。両者は一気にタカ派路線寄りになりました。
http://www.jimmin.com/htmldoc/146101.htm

 加々美光行氏(愛知大学現代中国学部教授)の分析にしたがえば、タカ派を納得させなければならないため、トップが習近平氏に交代したとしても、そう簡単に「日本バッシング中止」には動けないだろうという予想が立つ。長く香港・北京に在住するふるまい氏の予測は尊重したいが、日本にいてふつうに新聞やネットで中国関係の情報に接している限り、今回はこういう劇的ではない、いかにもな推測に落ち着かざるを得ないように思われる。
 最後に、この文章を書こうと思い立った動機になった箇所を引用する。

 中国国内における毛沢東は「日本軍に勝利した指導者」である。実際に当時日本軍と戦ったのはのちに台湾に敗走した中華民国軍だが、中国国内では共産党が勝利したことにされている。

 は?
 では、なぜ張学良は兵を率いて蒋介石を監禁し要求を突きつけたのか(西安事変)。共産勢力との内戦をやめようとしなかった蒋介石・国民党軍を、抗日戦線に統一しなければならなかったからではなかった(第二次国共合作)のか?
 私は中国近現代史の知識は岩波新書しか読んでないのでアレなのだが、これはどういう意味なのだろう。

「反政府」なら「正義」なのか? 国枝昌樹「シリア アサド政権の40年史」を読む

 シリアで反政府勢力が蜂起し、内戦になりつつある。8月にはフリージャーナリストの山本美香氏が反政府勢力の自由シリア軍を取材中、銃撃されて亡くなった。撃ったのはシリア政府軍(—だが真相は不明—)とされ、突然、「暴虐なシリア政府軍」「それに対抗してシリアを解放する自由シリア軍」というイメージが広まったように見える。
 私自身は、イラクフセインリビアカダフィが倒された時、なるほど彼らは残虐な面を持つ「独裁者」だったのかもしれないが、NATOや米軍が爆撃したり地上軍を展開した意味では「侵略行為」だと思うし、今、かの地が現地の人にとって決して安心安全とは言えない状況になってしまっているのを知るにつけ、他国へのこのような干渉には断固反対の気持ちをより強く持つようになった。
 さらに言えば、チュニジアに端を発し、エジプトで進展した民主化運動が、王国であるサウジアラビア絶対君主制クウェートではなく、欧米やイスラエルに敵対的なリビアやシリアに伝播するという不自然な「流れ」にも疑問を感じる。
 真相は分からない。とりわけ、現地入りしたフリージャーナリスト安田純平氏らのツイートを読むとよけい分からなくなる。

@YASUDAjumpei: 反政府軍に参加してない人々がすんでいる地域にところかまわず空爆砲撃してるシリア政府がシリア国民を守ってると思う感覚というのはどうやって養われたのかね。住んでたから分かるとか言う人は、日本に住んでる日本人は日本のことが分かってるとか思ってるわけか。おめでたいことだ。

 さらにスペイン人ジャーナリスト・リカルド・ガルシア・ビラノバ氏の、傷ついた人々の写真

http://www.ricardogarciavilanova.com/?page_id=3176

を観ると、ますます混乱させられる。
 だが、そうした不透明さをある程度解消してくれる「事情通」というべき著書を見つけたので紹介する。
 国枝昌樹「シリア アサド政権の40年史」(平凡社新書)。国枝氏は外務省に入省し、書記官や参事官としてエジプト、イラク、ヨルダン大使館で勤務し、2006年から2010年までシリア大使を務め、2010年に退官している。

 シリアでの動きのもう一つの特徴は、情報技術を駆使したメディア合戦ともいうべき激しい報道合戦である。シリア国営報道機関も積極的な報道活動を行うが、それ以上にシリア国外の報道機関の積極的な姿勢は目覚ましく、国際世論の形成に影響力を及ぼしてきた。そこでは、シリアの反体制グループが流す情報がその信憑性について検討されることなくほどんどそのまま報道されることが多い。(8ページ)

 そんな私が2011年春以来のシリア情勢を伝える報道を見ていて危うさに肝を冷やす思いをたびたび重ねている。反体制派の情報に偏った報道ぶり、明確に反体制側に立つアルジャジーラアルアラビーヤなどの衛星放送局の報道の受け売り、加えて針小棒大、事実誤認の報道など。シリアの現状に関する国連機関の報告書についても、執筆者の意図に明確な偏りがある場合が認められる。(10ページ)

 国枝氏は、レバノン闇市場における武器売買の奇妙な価格高騰についても指摘する。

…年が明けて12年になると、AK-47は2100ドルまでつり上がり、民衆蜂起前には1個100ドルだった手榴弾が500ドルにまでなった。それでもシリアからやってきて闇市場で武器を購入する動きは途絶えない。彼ら(反体制側)は不自然なまでに資金が豊富である。(23ページ)

 さらに、シリア内戦の背景といえば、私たちは「独裁的な政府VS民主的な反政府」、少し事情を知っていれば、「政権を握るアサドらアラウィ派(イスラム少数派)VS多数派のスンニー派」という図式を想像するが、国枝氏はより太い歴史的な対立軸を指摘する。政権についている社会主義世俗党のバァス党とムスリム同胞団との対立だ。

 ムスリム同胞団イスラムスンニー派の中でも原理主義に近い保守派によって組織される。イスラム教に拘泥することが少なく、統一、自由そして社会主義をスローガンに世俗主義を実践するバァス党とは相容れない。スンニー派有力者たちや大土地所有者たちはバァス党が勢力を拡大すると、バァス党の中で有力な異端的少数派のアラウィ派関係者と、スンニー派だが貧しい家庭の出身者たちの台頭に強い違和感を抱いた。そのような彼らはムスリム同胞団の支援に向かった。(32〜33ページ)

 バァス党政権は独立以来、ムスリム同胞団とテロを受けたり軍を出して鎮圧したりといったことを繰り返してきた。そのために、

 (アサド)政権が強硬姿勢を取るのには理由がある。民衆蜂起の裏に、バァス党結党以来の不倶戴天の敵であるムスリム同胞団の存在を嗅ぎ取ったのだ。(32ページ)

 噂の多い「外人部隊」の参戦についても言及する。

(独シュピーゲルによると)イラクで米軍と戦ったイスラム主義過激派のレバノン人をインタビューし、その人物は11年夏以来、グループを作ってシリア領内に武装侵入してシリア政府軍と戦い、戦闘の現場にはパレスチナ人、リビア人、イエメン人、イラク人などもおり、シリア政権に対する戦いは確実に国際化してきているという発言を報道している(63ページ)

 これが本当なら、反体制民主化運動とは異質な動きが存在していることを認めざるを得ないだろう。
 国枝氏はさらに、アサドらアラウィ派がシーア派に属していることから生じる湾岸諸国との対立を解説している。

 イランのシーア派政権に対する湾岸諸国の支配層の猜疑心と拒否感は極めて強い。シリアはイランのシーア派政権と友好協力関係にある。シリア自身、特にハーフェズ・アサド大統領時代はシーア派に属するアラウィ派が要所を占めて主導した政権だった。(96ページ)

 湾岸諸国の大きな関心は、11年末に米軍が戦闘部隊をイラクから引き揚げた後、イラクシーア派マーリキ政権がますますイランとの関係を強めていくことが予想されるなか、シリアをイランから何とか離反させてイランの影響力を削がなければならないという一点にある。(97ページ)

 この湾岸諸国の願望が、シリアでの2011年の民衆蜂起とともに現実化し、特にサウジアラビアカタールがシリアに圧迫を加えることになるのだが、それとともに前記したアルジャジーラなど、反体制に同情的とされるメディアが偏向報道に走るようになり、ベイルートテヘランの支局長が、このような事態を「メディアは資本の言いなりになっている」と批判、相次いで辞職する事態も起きている。
 この辺りまで読むと、シーア派イランを抑え込みたい湾岸諸国の願望の後ろに、イランと敵対する欧米、イスラエルの影を想像することも可能だろうし、そのような大きな動きの中にシリア内戦を位置づける見方ができることも分かってくる。
 国枝氏はあとがきで、湾岸諸国とシリア自由軍を庇護するトルコが、アサド政権が民衆蜂起により短期間で崩壊すると読み、民衆への支援と称して一気に政権打倒に突き進んだが読み間違えていたとし、「アサド政権が生き延びるとなると、両国(サウジとカタール)はブーメラン効果に直面する可能性が出てこよう」と不気味な予想を展開している。
 
 ここまで紹介すると明瞭なことと思うが、「反政府」「反体制」を唱える側が正義だ、という単純な見方では、とてもシリアは理解できないということだろう。

シリア アサド政権の40年史 (平凡社新書)

シリア アサド政権の40年史 (平凡社新書)

パンドラの箱は片山氏一人で開けたわけではない

 自民党参議院議員片山さつき氏は河本準一氏が記者会見で、もらった生活保護を返還すると話したことについてこう言っている。

「この制度にもらい得はないと訴える最大の目的は果たした」「…これを機に、適正給付に向け、制度の穴を閉じていく体制の提言を打ちだしていきたい」http://mainichi.jp/sponichi/news/20120526spn00m200002000c.html

 獲物を仕留めたハンターのようだ。
 別の記事では、質問に答えてこんな事を話している。

――河本さんやお母さんは「私人」だからプライバシー侵害だとの主張は、繰り返していませんでしたか?

片山 していましたよ。だから、積極的に親を芸の売り物にして、著作のネタにもしている状況でね、それも無理があると話しました。そもそも、個別具体例がなんらかの「事件」としてたまたま注目を集め、「これはひどい。制度を変えないと」と、政治や行政、世論の空気が醸成されないと、取締りや罰則の強化は前に進まないのですよと。私は政治家になる前は、霞が関で行政官を長くしていましたから、その立場から言ってもそれが今までに起きてきたことですよと、そう申し上げたのです。「姉歯事件」の時、事件当事者のさまざまなプライバシー的な情報が出てきましたが、誰かプライバシー侵害を訴えましたか。年金保険料の有名人による未払いもそうですよね。みなさん、社会的責任をおとりになりましたと。そしたらやっぱり黙っていましたけどね。いずれにしても、この問題は「パンドラの箱」だったのでしょう。いみじくも、ある記者が私に「片山さんはパンドラの箱を開けましたよ」と言っていましたけど。生活保護の不正受給問題は、弱者であると主張している人々に切り込まないといけないので、どちらかといえばタブーの部類に入るテーマでしたからね。(2ページ目)片山さつきに再び聞く「河本の生活保護費問題に進展は?」 | ビジネスジャーナル

 ここで片山氏が語っていることにはかなり無理がある。プライバシー侵害の不当性を訴える河本氏や母親に対し、個別例に注目が集まることによって「これはひどい」と世論が盛り上がらないと制度改正ができない、と反論しているのだ。つまり、「あなたたちは制度改正のためのスケープゴートになるしかない」と言っているのも同然だろう。
 「プライバシーの侵害」を抗議する者に対しては、「プライバシーの侵害ではない」ことを反証しなければならない。だが、片山氏は無視し、「あきらめろ」と述べている。
 ここが今回の出来事の「堤防」の一つだったと思う。が、「堤防」はやすやすと毀された。芸能人だからという理由で河本氏のプライバシーは無視され、彼の年収だの母親の生活状況がさらされ、ネット上で他人があれこれと論評し非難される仕儀となった。今回の論点は、「不正受給」か否かの判定、であるかのように考えている人は少なくないのだろうが、私はその前の段階の、「不正受給」が他人に云々されてしまうようなプライバシー暴露が許されるのかどうかが、最初の論点だと考えている。プライバシーを侵さなければ「不正受給かどうか」を判断する材料はそもそも目に触れようがないのだから。
 実は片山氏は、自らのプライバシー侵害の重要性を認識していたに違いない。インタビューでも、本件が「パンドラの箱」だったと認めている。
 とはいえ、事態は片山氏が望む方向に動きつつあるようだ。キンコン梶原という人の母親も、「いらぬ誤解を生みたくない」と生活保護を今月で辞退することを明らかにした(注)。プライバシーが存しないかのように言われてしまう芸能人による生活保護辞退は、これから続くのかもしれない。そのことによって世論が盛り上がるとしたら、この制度自体が大きく変わっていくことになるだろう。より金額が少なく、より受給しにくくなる方向に。そうなれば片山氏が「最大の目的を果たした」と誇るのは大言壮語でも何でもなくなる。
 今回の事態に唖然とするしかなかったのは、一つはマスメディアと国会議員がタッグを組んで個人のプライバシーを侵すという行為が、他のいかなるメディアや議員によって咎められることもなく、当人の謝罪会見にまで行き着いてしまったことだろう。さらに決定的なのは、厚生労働省小宮山洋子大臣が片山議員の今回の行動を、容認するどころか便乗してしまったということだ。あり得ないと思われていた第二の「堤防」も、やすやすと決壊してしまった。 
 小宮山氏は25日の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会」で、生活保護費の支給水準引き下げとともに、生活保護の受給開始後、親族が扶養できると判明した場合、積極的に返還を求める意向を示したという。
http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012052501001911.html
 これは自民党議員への質問に対しての答弁において語られたことだ。
 「社会保障と税の一体改革」といっても、ようするにこの逼迫した財政下、社会保障額は少なくなればなるほどよい。この点、最後の命綱である生活保護は「最低基準」の位置づけを与えられていたことだろう。すなわち「生活保護の支給額よりは多く」という命題が、社会保障にはつきまとっていたに違いない。たとえば最低賃金は今、経営者の意向を考慮することなく、最低でも地域の生活保護支給水準を上回る方向で毎年切り上げられている。
 だが、それによって生じる軋轢は並大抵ではない。とするならば、最低基準である生活保護そのものを引き下げればどうか。「社会保障の一体改革」は実にスムーズに進むのではないか。それは厚労省にとって渡りに舟だ。
 小宮山厚労相にとっても、何ら抵抗感のないことだったのだろう。自らの省の改革案をスムーズに進行させるのも大臣の役目だから。
 しかし、政治家なのだから、実はどのような政治判断するかが問われた課題でもあったのではないか。「プライバシー暴露」という人権侵害が絡む事案であったからだ。不快感を表明し、片山氏を批判する道もあった。(良心のある政治家ならそうすべきだった。)だが、そうしなかった。むしろ、「これは利用価値がある」という程度の考えしか持たなかったのだろう。なるほどこれで、社会保障は政府の望む「緊縮」の方向に進むのかもしれない。だが代償は小さくないはずだ。国会議員による国民に対するプライバシー侵害をオーソライズしてしまったのだから。
 そして今回、片山氏を諫めなかったということは、実は同じ記事にある彼女のこのような考え方も否定しなかったということでもある、日本政府として。

「私が力を入れて取り組んでいるものに、外国人への生活保護支給問題があります。近年、外国人受給者が急増していて、仮試算では1200億円弱の保護費が支払われている。しかも、朝鮮半島出身者の割合が3分の2と突出して高い。人道上、外国人支援は重要ですが、それらがすべて正当な支給とは思えません。」"河本準一・生活保護不正受給疑惑"に切り込んだ、片山さつきの狙い | ビジネスジャーナル

 ここに引用された数字はどれほど正確なのか。どのようなソースに頼っているのか。万が一、数値として正しくとも、日本の外国人、在日朝鮮人政策を考えたとき、仮に生活保護受給が相対的に多くとも当然ではないかという想像力がなければならないところだろう。
 いや、事態はさらに先に行き、片山氏はここに至って在日朝鮮人が不正受給していることを示唆するツイートをいくつも肯定的にリツイートしている。
なお (@nao0410) | Twitter
https://twitter.com/mameshibainjp/status/207136628731428864
 これから、このようなヘイトスピーチツイッターでもブログでも、従来に増して流通するようになるだろう。「政府公認」なのだから。片山氏によってこじ開けられたパンドラの箱は、小宮山氏によって全開にされたのである。

(注:ここで吉本興業の賃金システムがどうなっているのか、あるいは、所属芸能人の生活保護申請に関して、同社がどの位関わっているのかという問題が出てくるが、今回の生保受給改悪への動きとは別に論じるべき問題と思われる。)