小飼弾氏はなぜ「国辱」という言葉を使ったのか

 ツイッターというものを始めたが、ブログとどう連携させるとうまく行くのか分からず、放置していたら、本日の諸活動のもろもろがごちゃ混ぜになってこっちに投稿されてしまった。不要なものを消去し使えるものをつなげて見た。
 
 「国辱」=国家又は国民として自ら恥ずかしく思うこと。
 私はこれまでこの言葉を使ったことがない。大日本帝国時代(?)の言葉。使う気もなければ、使わなければならないと思ったこともない。言葉が喚起するイメージは武士か軍人が切腹し、血まみれで果てる光景。
 「国辱 - 書評 - なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51563351.htmlー404 Blog Not Found小飼弾氏は、なぜ、何を指して、「国辱」という血にまみれた言葉を書評に使ったのか。題名のとおり韓国にできて日本にできないことだからか。韓国が日本を凌駕することなどいくらでもあるだろう。もちろん逆もある。なぜパチンコだと「国辱」になるのか。
 おっと、私は若宮健氏の「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」は未読なのでこれを批評するつもりはない。小飼氏の書評だけ。
 「国辱」というなら、東芝が最近、サムスンLSIの販売競争に負けて降りたのも考えようによっては「国辱」だし、「母なる証明」のような重くて娯楽性豊かな映画を作れないのも国辱だろう。何でことさらにパチンコを無くせない状況が「国辱」なんだ?
 さっきから「国辱」なシチュエーションを書こうとしているのだが、なかなか思いつかない(笑)・・・・・・。
 たとえば、天皇が各界の有名人を集めて庭園みたいなところで談笑している所(園遊会というのか?)に素っ裸の男が乱入、大騒ぎして場をめちゃくちゃにしてしまったとする。この状況は国辱的な状況か?見る人が見たら、いきり立って「国辱だあ」と言うだろう(あ、「不敬罪」の方がより正確か)し、たまたま日本刀でも持っていれば(なわけないか)切り捨て御免にしてしまうかもしれない。だが、私のような人間から見たら腹を抱えて笑う珍事に過ぎず、報いとして破廉恥罪が適用されるに過ぎないと受け止めるに違いない。「国辱」などとは毫も思わないだろう。
 とすると、「国辱」とは、該当する要件が厳密に規定されていないので、受け止める人間によってこの用語を適用するか否か判断が異なるが、いったんその言葉が発せられてしまうと剣呑な状況が醸し出され、時に血を見る覚悟も強いられるヤバい言葉と定義してもそう間違いではないように思われる。
 分かりやすくするために、この著書の目次の一項を使わせてもらおう。第三章の最終項として「韓国にできて日本にできないという恥辱」というのがある。これならまだ分かるのだ。つまり「韓国は早々とパチンコを廃止したのに日本はできない、ああ恥ずかしい」ということだ。
 さて、小飼氏のは「韓国にできて日本にできないという国辱」ー。この違い。語感のこの圧迫感は何か。引き算をすればよく分かる。「国辱」−「恥辱」=国家的情念。
 「恥辱」では済まない「国家的情念」はどこに向けられているのか、というと、パチンコ業界(さらにその背後の政官)しかない。
  「立法や行政どころかマスメディアまで抱き込んでいるという点においてイタリア・マフィアを彷彿とさせるパチンコ業界ではあるが、もはや誰にも止められないのだろうか?」
 そうだろうか?確かにパチンコ業界は警察官僚の天下り先だから癒着はしているだろうし、政治家にも献金しているだろう。だが、イタリアン・マフィアっていくら何でも大袈裟すぎないか。「イタリア・マフィア」 (ちくま新書 シルヴィオ ピエルサンティ) を引くまでもなく、今もって警官だろうが市長だろうが検事だろうが銃殺、爆殺の限りを尽くしているのが彼らだ。それに擬するとはイメージ操作にもほどがあるだろう。
 「パチンコ屋が強者に資金をばらまいているのは、彼らの危機感の裏返しでもあるのだ。サラ金と同じだ。」
 強者(政治家ってことか?)に資金をばらまいているのはパチンコ業界だけなのか。その一点をもって「サラ金と同じ」って論理が通っていないだろう。
 「しかしそれで子供たちが(筆者注:夏、置き去りにされた車中で)実際に死んでいることに、業界は何と申し開きをするのか?」
 これはひとえに親の責任だろう。何でパチンコ業界が申し開きする必要がある?そこまで非を唱えるのなら小飼氏が原告団長か何かになってパチンコ業界に損害賠償請求訴訟でも起こしたらどうか。(ん、この場合、原告は親か、亡くなった子どもたちか??)。
 さて、パチンコ店の経営者は7〜9割が在日韓国人朝鮮人であることは小飼氏もよく理解されていることだろう。そのことを承知のうえで、上記のむちゃくちゃな論理や国家的情念をパチンコ業界にぶつけているのだ。要約するなら彼の書評は「お前ら在日は国辱的存在だ」と言っているようにしか読めない。あるマイノリティの多くが就いたその生業を大仰になじっているのだから、これはまさにヘイトスピーチそのものだと言うしかない。(注)
 さて、これに続く「パチンコが「このままでいいわけがない」理由」http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51564648.htmlでも小飼氏はこんなことを書いている。
「そしてどうみても、パチンコ常習者の平均年収は日本人全体の平均年収を上回ることはない。彼らがより低学歴低年収であることは、その126万円をかけてもいい。」
 その根拠や証拠はどこにあるのだろうか。ここには何の論理性もない。まさに「庶民」への蔑視、偏見に満ちている。
 唐突だが、私の父親もギャンブル好きで、パチンコに関しては「行かないとそわそわする」程度の中毒症状を呈していたが、年を食ってから辞めた。ある意味、人生に彩りを添える楽しみの一つだったと思う。それは父の周りのほとんどの人も同じである。
 確かに問題になる中毒者も存在するだろうが、イナカにはこれを数少ない楽しみとして享受する健全なパチンカーもたくさんいるということが小飼氏には全く見えていない。
 まあ、ある意図を持って題名に「国辱」との言葉を冠した時から、念頭に浮かびようもなかったということなのだろうけれど。

 (注)「パチンコ業界の送金により朝鮮がミサイルや核を開発している」といった安全保障上の問題はそれ独自に真摯に論じるべきで、聞きかじりをここで展開するべきではないと考える。まあ、私はこの論点については、朝鮮の核やミサイル以前に、延々と朝鮮半島を脅かしてきた日米同盟のあり方(当然核配備はしているだろう)を先行して批判的に検討しなければならないと考える。