「12.4 黒い彗星★国際連帯声明」と私

 ご存じの方もいるとは思うが、昨年12月4日、渋谷の排外組織の民族差別デモに非暴力で単身抗議し、集団リンチを受け、不当にも警察に逮捕(のち釈放、加害者は放免)された「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)氏の支援組織「黒い彗星★救援会」が声明を発表したので転載する。

私たち「12.4黒い彗星★救援会」は、2010年12月4日、渋谷駅近くの路上で起こった事件について、世界中の差別と闘う人々に訴えます。
 日本人レイシストによる民族差別デモに単身抗議した「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)は、レイシストたちに集団暴行を受け、全治3週間の大けがを負いました。にもかかわらず、警察は、暴行の加害者を放免し、暴行の被害者であるかれを「暴行容疑」で逮捕したのです。
 かれは、横断幕を掲げるという非暴力抗議行動をしただけにすぎません(現場映像は以下)。いえ、横断幕には、重大なメッセージが含まれていました。
 http://www.youtube.com/watch?v=qvdXPdxFjt8
 かれは暴力をふるってなどいません。むしろレイシストたちが一斉にかれに襲いかかり、集団で殴る蹴るの暴行を加えたのです。多くの警察官がそれを見ていました。にもかかわらず、渋谷署はかれを逮捕し、指紋を採取し、必要な医療措置を受けさせませんでした。その上、暴行加害者を充分に調べることなく帰宅させました。
 幸い、かれは約50時間の留置のあと釈放されました。しかし、今回の事件は、日本社会と日本行政の腐敗・堕落を明らかにしました。現在の日本では、人間を不当に貶める差別表現が容認され、さらには、差別する者たちのおぞましい集団的暴力が容認されてしまっているのです。
 かれは、横断幕に次のようなメッセージを記しました。
 「対話に来ました
  民族教育の権利を守るぞ!!
  阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!
  祖国統一! 우리는하나 ANTIFA黒い彗星☆」
http://f.hatena.ne.jp/free_antifa/20101210220729
 黒い彗星は、日本に生まれ、13才まで大韓民国で育ち、それ以降ふたたび日本で暮らしてきました。その日本は、かつて朝鮮半島大韓帝国)を侵略/植民地化し、同化教育を強制しました。名前を奪い、言葉を奪いました。1945年の第二次世界大戦での敗戦後も、日本国内の朝鮮人・韓国人や他の外国人たちが有する民族教育の正当な権利を侵害してきました。そうした抑圧に対する抵抗の象徴の一つが、1948年朝鮮学校閉鎖令への反対運動である「阪神教育闘争」です。
 しかし日本政府は、そうした負の歴史を反省し清算するどころか、朝鮮半島分断に加担し続けています。朝鮮戦争アメリカ合衆国側として参加。現在にいたっても、アメリカ同盟国として、朝鮮半島の平和に軍事的脅威を与えています。その中でさらなる差別として、2010年には、「高校無償化」政策から朝鮮学校を排除しました。それは、朝鮮民主主義人民共和国への不当な制裁政治の一環として実行されました。同時に、継続する植民地主義在日朝鮮人弾圧であり、決して許されてはならないものです。
 かれは、これまでもずっと、こうした差別に反対してきました。朝鮮人差別のみならず、日本に暮らすすべての外国人への差別に反対してきました。地道に署名活動をし、平和的なデモに参加し、時には自ら組織し、インターネット上で排外主義に反対するネットワークづくりを行なっています。かれの支持者には同胞、そして排外主義に反対する日本人、なかには右派ナショナリストもいます。排外主義に反対する一翼をかれは担い続けてきたのです。12.4の非暴力直接行動は、突発的な思いつきでも気まぐれでもなく、反排外主義や朝鮮学校に対する差別に対抗する地道な運動への参加(コミットメント)という文脈に位置づけられなければなりません。
 今回、かれが単身抗議したレイシストのデモは、ちょうど1年前の2010年12月4日に、京都朝鮮第一初級学校におしかけ、子どもたちに「(共和国の)スパイの子」「日本から出ていけ」と罵声を浴びせるという悪質な差別事件を起こした団体とそのシンパによるものでした。そのレイシストたちに抗議し袋だたきにされたかれを、警察は不当にも逮捕し、東京地検は起訴はしなかったものの、曖昧な処分をくだしました。つまり、決定にあたり、日本の法制度によれば当然なされてしかるべき「嫌疑なし」という説明をしないことを選んだのです。
 私たちはこうした現実に失望するとともに、大きな危機感を抱いています。私たちは、決してかれを孤立させてはなりません。この事件によって、コリアの一員であり世界の一員であるとともに日本社会の一員であるかれが、社会的・経済的・政治的不利益を被ることがあってはなりません。
私たちはかれの友人として、かれの同志として、不当な差別と暴力を許さない、けっして容認しないという決意をあらたにし、世界中の反排外、民族差別反対を担う人々にこの問題を訴えます。私は、黒い彗星に連帯します。私たちは、黒い彗星に連帯します。私は黒い彗星です。黒い彗星への日本社会における社会的制裁は、釈放後も継続しています。これは不当なことです。もし黒い彗星への攻撃がこれからも続くのであれば、どうか、私を宛先に加えてください。
何度でもくりかえし訴えます。
私たちは絶対に差別を許さない。
私たちの闘いは、これからだ。
2011年1月9日

署名:「12.4 黒い彗星★救援会」「新たに署名してくださる人々のための余白」


追記 この声明への連帯表明を全人民に呼びかけます。拡散、翻訳を歓迎します。ガザで、ピョンヤンで、カイロで、ニューデリーで、チアパスで、京都で、サンフランシスコで、済州島で、ブザンソンで、シベリアで、ハバナで、鶴橋で、エルサレムで、香港で、ケープタウンで、ベルリンで、ビエンチャンで、バスクで、ソウルで、ヤウンデで、テヘランで、サンフランシスコで、アクラで、アテネで、北京で、リュブリャナで、広島で、その他のあらゆる場所で話題となることを希望します。また、世界史における出来事として「渋谷12.4」を記憶することを呼びかけます。<<

 
 さらに救援会はイベントの告知も行っている。

  「12.4 黒い彗星★救援会」 報告集会 ANTIFA LA COMETA NEGRA
    日時☆2011年1月23日(sun)18:00〜20:30 参加費無料
    会場☆渋谷区神宮前隠田区民会館 http://www.ieepa.com/onden.htm
主催☆12.4黒い彗星★救援会 schwarzerkomet<@>gmail.com ※< > 外してください
2010年12月4日渋谷109前にて排外主義デモに非暴力で単身抗議した「黒い彗星」。西村修平レイシスト集団にフルボッコされた上に渋谷署は「黒い彗星」を不当逮捕(怒)。異例の早期釈放・不起訴をかちとったものの「黒い彗星」への人権侵害、誹謗中傷はいまも続いています。12.4黒い彗星救援会は「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)を断固支持します。排外主義が勢いを増す日本社会の縮図といえる本事件を改めて検証し「黒い彗星」の完全無罪を訴えます。


 この件については、少し遡るが昨年末、激励メッセージの募集があったので、次のようなメッセージを送った。

 米国への従属を変えることができないまま、外に向けては朝鮮への憎悪と米国の尻馬に乗った侵略戦争開始の待望、内に向けては在特会など本来、存在そのものが許されてはならない差別集団による嫌がらせ、示威活動、朝校への露骨な圧迫、ヘイトスピーチと言っても過言ではないパチンコ業界叩きー等々の悪夢のような流れに勇敢な一撃を加えたのが、黒い彗星氏の行動でした。
 本来、日本人自身の手で解決していかなければならない問題なのに放置してきたことを申し訳なく思うとともに、勇気をふるってできることをやっていかなければならないと思います。
 危機こそ、自らを鍛え、本来出会うべき人たちが出会う好機なのだと信じたい気持ちです。

 
 うーん、いま読み返すと、大袈裟で力みかえっていて「一体おまえは何様なんだ」と思わないでもないが、「日本人自身の手で解決していかなければならない問題」という認識は間違っていないと考えている。
 マルコムXがかつて黒人差別問題を徹頭徹尾、支配層の白人の問題だと言い続けたように、沖縄の基地問題について目取間俊や知念ウシが「沖縄に理解を示したり、同情したり、連帯しに来てくれなくていいから、本土に基地を持って帰ってくれ」と言うのと同様に、在日韓国・朝鮮人への差別問題は日本人が取り組まなければ解消し得ない問題だ。なぜなら差別は「する側」の意識—偏見の問題だから。当たり前のことのように思えるが、このことは自分のためにあらためて確認しておきたい。それほどまでにこの社会のありようがグロテスクなものになりつつあると感じるからだ。
 この、差別集団に非暴力で抗議した在日の若者がリンチを受けたうえに逮捕され、リンチした方が放免された事件も、外交問題と関係づけて論じてはならないはずの朝鮮学校無償化手続が凍結された件も、昨年暮れ、朝鮮領土の至近距離で行っていた韓国の軍事訓練の問題は問われず、ひたすら「北朝鮮の挑発」だけが喧伝された件もそう。
 さらに想像を広げるならば、私が通勤に使っている朝の東海道線の満員の殺伐とした雰囲気も、昨年のマイベスト映画の一本「サイタマノラッパー」で繰り広げられた主人公たちの閉塞した貧しい日常も、このブログを時々訪ねてくれる方が携わる若年路上生活者の窮状も・・・私も含め、皆グロテスクな日常を浮いたり沈んだり、アップアップしながら暮らしているように見える。それらの光景は、この12月4日の事件の異様さとひとつながりの現実だと言えば観念的過ぎるだろうか。
 この手のことはマイノリティ過ぎて何も変えることができず無駄?そうかもしれない。何も変えられないとしたら空しい。しかしだとしても、何をどのように認識し、表明するかは誰の人生にとっても大切なことなのではないか。少なくとも私には多大な関心事だ。それにブログもあればツイッターもある。普通の人々の認識と表明がこれほどまでに重視される時代はかつてなかったはずだ。