パンドラの箱は片山氏一人で開けたわけではない

 自民党参議院議員片山さつき氏は河本準一氏が記者会見で、もらった生活保護を返還すると話したことについてこう言っている。

「この制度にもらい得はないと訴える最大の目的は果たした」「…これを機に、適正給付に向け、制度の穴を閉じていく体制の提言を打ちだしていきたい」http://mainichi.jp/sponichi/news/20120526spn00m200002000c.html

 獲物を仕留めたハンターのようだ。
 別の記事では、質問に答えてこんな事を話している。

――河本さんやお母さんは「私人」だからプライバシー侵害だとの主張は、繰り返していませんでしたか?

片山 していましたよ。だから、積極的に親を芸の売り物にして、著作のネタにもしている状況でね、それも無理があると話しました。そもそも、個別具体例がなんらかの「事件」としてたまたま注目を集め、「これはひどい。制度を変えないと」と、政治や行政、世論の空気が醸成されないと、取締りや罰則の強化は前に進まないのですよと。私は政治家になる前は、霞が関で行政官を長くしていましたから、その立場から言ってもそれが今までに起きてきたことですよと、そう申し上げたのです。「姉歯事件」の時、事件当事者のさまざまなプライバシー的な情報が出てきましたが、誰かプライバシー侵害を訴えましたか。年金保険料の有名人による未払いもそうですよね。みなさん、社会的責任をおとりになりましたと。そしたらやっぱり黙っていましたけどね。いずれにしても、この問題は「パンドラの箱」だったのでしょう。いみじくも、ある記者が私に「片山さんはパンドラの箱を開けましたよ」と言っていましたけど。生活保護の不正受給問題は、弱者であると主張している人々に切り込まないといけないので、どちらかといえばタブーの部類に入るテーマでしたからね。(2ページ目)片山さつきに再び聞く「河本の生活保護費問題に進展は?」 | ビジネスジャーナル

 ここで片山氏が語っていることにはかなり無理がある。プライバシー侵害の不当性を訴える河本氏や母親に対し、個別例に注目が集まることによって「これはひどい」と世論が盛り上がらないと制度改正ができない、と反論しているのだ。つまり、「あなたたちは制度改正のためのスケープゴートになるしかない」と言っているのも同然だろう。
 「プライバシーの侵害」を抗議する者に対しては、「プライバシーの侵害ではない」ことを反証しなければならない。だが、片山氏は無視し、「あきらめろ」と述べている。
 ここが今回の出来事の「堤防」の一つだったと思う。が、「堤防」はやすやすと毀された。芸能人だからという理由で河本氏のプライバシーは無視され、彼の年収だの母親の生活状況がさらされ、ネット上で他人があれこれと論評し非難される仕儀となった。今回の論点は、「不正受給」か否かの判定、であるかのように考えている人は少なくないのだろうが、私はその前の段階の、「不正受給」が他人に云々されてしまうようなプライバシー暴露が許されるのかどうかが、最初の論点だと考えている。プライバシーを侵さなければ「不正受給かどうか」を判断する材料はそもそも目に触れようがないのだから。
 実は片山氏は、自らのプライバシー侵害の重要性を認識していたに違いない。インタビューでも、本件が「パンドラの箱」だったと認めている。
 とはいえ、事態は片山氏が望む方向に動きつつあるようだ。キンコン梶原という人の母親も、「いらぬ誤解を生みたくない」と生活保護を今月で辞退することを明らかにした(注)。プライバシーが存しないかのように言われてしまう芸能人による生活保護辞退は、これから続くのかもしれない。そのことによって世論が盛り上がるとしたら、この制度自体が大きく変わっていくことになるだろう。より金額が少なく、より受給しにくくなる方向に。そうなれば片山氏が「最大の目的を果たした」と誇るのは大言壮語でも何でもなくなる。
 今回の事態に唖然とするしかなかったのは、一つはマスメディアと国会議員がタッグを組んで個人のプライバシーを侵すという行為が、他のいかなるメディアや議員によって咎められることもなく、当人の謝罪会見にまで行き着いてしまったことだろう。さらに決定的なのは、厚生労働省小宮山洋子大臣が片山議員の今回の行動を、容認するどころか便乗してしまったということだ。あり得ないと思われていた第二の「堤防」も、やすやすと決壊してしまった。 
 小宮山氏は25日の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会」で、生活保護費の支給水準引き下げとともに、生活保護の受給開始後、親族が扶養できると判明した場合、積極的に返還を求める意向を示したという。
http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012052501001911.html
 これは自民党議員への質問に対しての答弁において語られたことだ。
 「社会保障と税の一体改革」といっても、ようするにこの逼迫した財政下、社会保障額は少なくなればなるほどよい。この点、最後の命綱である生活保護は「最低基準」の位置づけを与えられていたことだろう。すなわち「生活保護の支給額よりは多く」という命題が、社会保障にはつきまとっていたに違いない。たとえば最低賃金は今、経営者の意向を考慮することなく、最低でも地域の生活保護支給水準を上回る方向で毎年切り上げられている。
 だが、それによって生じる軋轢は並大抵ではない。とするならば、最低基準である生活保護そのものを引き下げればどうか。「社会保障の一体改革」は実にスムーズに進むのではないか。それは厚労省にとって渡りに舟だ。
 小宮山厚労相にとっても、何ら抵抗感のないことだったのだろう。自らの省の改革案をスムーズに進行させるのも大臣の役目だから。
 しかし、政治家なのだから、実はどのような政治判断するかが問われた課題でもあったのではないか。「プライバシー暴露」という人権侵害が絡む事案であったからだ。不快感を表明し、片山氏を批判する道もあった。(良心のある政治家ならそうすべきだった。)だが、そうしなかった。むしろ、「これは利用価値がある」という程度の考えしか持たなかったのだろう。なるほどこれで、社会保障は政府の望む「緊縮」の方向に進むのかもしれない。だが代償は小さくないはずだ。国会議員による国民に対するプライバシー侵害をオーソライズしてしまったのだから。
 そして今回、片山氏を諫めなかったということは、実は同じ記事にある彼女のこのような考え方も否定しなかったということでもある、日本政府として。

「私が力を入れて取り組んでいるものに、外国人への生活保護支給問題があります。近年、外国人受給者が急増していて、仮試算では1200億円弱の保護費が支払われている。しかも、朝鮮半島出身者の割合が3分の2と突出して高い。人道上、外国人支援は重要ですが、それらがすべて正当な支給とは思えません。」"河本準一・生活保護不正受給疑惑"に切り込んだ、片山さつきの狙い | ビジネスジャーナル

 ここに引用された数字はどれほど正確なのか。どのようなソースに頼っているのか。万が一、数値として正しくとも、日本の外国人、在日朝鮮人政策を考えたとき、仮に生活保護受給が相対的に多くとも当然ではないかという想像力がなければならないところだろう。
 いや、事態はさらに先に行き、片山氏はここに至って在日朝鮮人が不正受給していることを示唆するツイートをいくつも肯定的にリツイートしている。
なお (@nao0410) | Twitter
https://twitter.com/mameshibainjp/status/207136628731428864
 これから、このようなヘイトスピーチツイッターでもブログでも、従来に増して流通するようになるだろう。「政府公認」なのだから。片山氏によってこじ開けられたパンドラの箱は、小宮山氏によって全開にされたのである。

(注:ここで吉本興業の賃金システムがどうなっているのか、あるいは、所属芸能人の生活保護申請に関して、同社がどの位関わっているのかという問題が出てくるが、今回の生保受給改悪への動きとは別に論じるべき問題と思われる。)