「嫌中・嫌韓」の友人と呑んで−彼は何に突き動かされているのか

 自民党の大勝に終わった衆議院議員選のあと、「嫌中・嫌韓」の言動に辟易して、しばらく敬遠していた友人に、なぜか会う気になった。
 20代の頃、バイト先で知り合い、今も付き合いの続いている同世代の男なのだが、3年ほど前から突然、反中国・反朝鮮の言動をとるようになった。軍事雑誌「丸」の話をすることもあり、兵器にオタク的関心を抱いていたことは知っていたが、明瞭に口にしたのはその頃が初めてだった。ヘイト発言はしないけれど、「独裁的共産主義国家が自国民の自由を奪い、対外的には増長し日本にさまざまな圧迫を加えてきている」と主張する。去年の尖閣諸島近海の「中国漁船衝突事件」の際にも、私たちは口論に近い議論になった。
 だがそもそも、中国や朝鮮で人々がどのように暮らしているのか実態はよく分からないのだから、本来は分からないことは分からないとしておく以外にはない。にもかかわらず「独裁的共産主義国家」レッテルを張るのは、やはり、「人々がどんな暮らしをしているか」を純粋に考えるより前に、何らかの偏見を持っていたと見ざるを得ないだろう。
 私の友人は天皇への思い入れはない。中国、韓国・朝鮮に対する不信や敵意、侮蔑を口にする点では、「排外主義者」というのが一番近そうだ。ちょうど、そうしたことを口にし始めた頃、彼は職場が変わり、労働条件の大幅な低下に見舞われている。私が知る職場での彼は、仕事熱心−という以上に、デキない仲間の分や、病欠で穴の開いた分までイヤな顔をせず引き受けるような、責任感の強い男。労働条件の悪化が、そういう彼に何をもたらしたか想像できるような気がする・・・。
 このように書くと
一、 そういう労働条件の悪さがもたらした鬱屈や挫折感が排外感情に火をつけたという解釈は安易。
二、 一つの例だけで全体の傾向が言えると考えているとしたら安易。
という声があがるだろうが、気にせず先に進もう(笑)。
 その彼と衆院総選挙後に呑んだ。互いに立場の違いはわかっているので、もはや口論にはならなかったが、彼が民主党政権−特に鳩山、菅両政権−を嫌悪し、自公政権が誕生することに安堵を抱いていることがうかがえた。こちらが「憲法改悪」「徴兵制」「基本的人権の制限」に道筋がつけられつつある話をすると、少し驚きはしたが、ピンとは来ていないようだった。
 なぜか。おそらく、中国の軍事力や朝鮮の「ミサイル」に対抗しなければならないという思いが先に立つからだ。「日本がチベットのように侵略されることを許してはならない」といったことも彼は口にした。といって、繰り返しになるが、彼はヘイトスピーチは決してしない。政府と国民は別、という気持ちがどこかに残っているのだろうか。
 そのような彼であれば、「排外主義」の色はほとんどないが、「愛国」「保守」の思いがこもった次の文章には共感するだろう。

「ところで、本論に入る前に、自己紹介を兼ねて、私自身の政治信条、立ち位置を簡単に説明しておきたい。
・伝統的な価値観を大事にし、小さい政府を志向する。経済政策ではサプライサイドの施策を重視する。
・全体的な方向性を大事にし、個々の政策は柔軟に考える一方、実現可能性を重視する。
・外交においては国益、特に実利を重視する。
自衛隊を正式に軍隊にし、集団安全保障体制に移行すべきと考える。そのために必要な憲法改正を支持している。
 こういった政治信条を持っている。いわゆる保守右派&リアリストと言われるポジション」
「安倍総裁の支持者は、この圧勝を受けて憲法改正や集団安全保障体制の構築を強く期待してくるだろう。正直に言えば、私もその期待している一人だ。
しかし、民主党の蹉跌を考えれば、こういった連立政権内に反対意見がある政策をゴリ押しするのは、決して得策ではない。今は参議院は比較第一党でもなく、過半数を握っているわけでもないことを、忘れないようにしたい。私たち支持者は、あせってタカ派的政策を実現するように圧力をかけるべきでない。まだ我慢の時だ。3年4ヶ月我慢をしてきたのだ。少なくともあと7ヶ月の我慢はして当然だと思う」
自民党、政権復帰。しかし、圧勝に浮かれてはいけない。 - 日はまた昇る

 この文章は、沖縄の反基地感情が極点まで高まり、日米安保体制を大きく動揺させている事実に触れていないことなど、手前勝手なタカ派的論法が含まれているが、包括的な視点による記述に共感する人も少なからずいるだろう。
 さらに、私の友人の認識は、ネトウヨ在特会をインタビューした安田浩一氏の記事とも重なる部分があると感じる。

「左翼だろうと労働組合だろうと、あんなに恵まれた人たちはいませんよ。そんな恵まれた人々によって在日などの外国人が庇護されている。差別されてるのは我々のほうですよ」
「なにかを「奪われた」と感じる人々の憤りは、この時代状況にあって収まりそうにない。おそらくナショナルな「気分」はまだ広がっていく。しかしそれは必ずしも保守や右翼と呼ばれるものではない。日常生活のなかで生じた不安や不満が行き場所を求め、たどり着いた地平が、たまたま愛国という名の戦場であっただけではないのか」
[http://s.news.nifty.com/magazine/detail/sapio-20120903-01_6.htm <

 主張の過激さやウエイトの置き方の点で違いはあれ、排外主義や好戦性、隣国への優越感(およびその裏返しの劣等感、後ろめたさ)という諸点では、ここまで書いてきた人々は共通のものを持っている。
 だが、にもかかわらず、安田氏はなぜか、このように「ネット右翼」「在特会」と、既存の右翼との違いにばかり目を向け、分けて考えようとしている。このことは、ネトウヨ在特会と日本社会の関係を考えるに際し、避けて通れない論点だと思う。ネトウヨ在特会を、このように特異な存在として概念化した瞬間、彼らを社会と切り離された「怪物」のような存在にしてしまうことになるのではないか。そうなると今度は、現代に現れ出た「彼ら」という存在から日本社会のありようを検討する回路を、私たちは失ってしまうことになろう。
 その点ではこれもそう。

ネトウヨを「愛国」と読むと分からなくなる。ネトウヨは「嫌韓・嫌中」と読むべき。韓国や中国への嫌悪感が彼らを駆り立てるのであり、愛国心とは関係ない。「反韓・反中」でもない。つまり彼らは政治を語っているわけではない。嫌悪感の発露の場として、たまたま政治というアリーナを選んでいる。
https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/281012135780315137

僕によく分からないのは、ネトウヨの「嫌韓・嫌中」感情がいったいどこから来ているのか。彼らは実際に韓国人や中国人と関わったことがあるのか、ないのか。あと、自民党や日本全体の右傾化とネトウヨの「嫌韓・嫌中」感情とは、関係があるのか、ないのか。
https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/281026131828817921

「嫌中・嫌韓」の来歴が分からない、と想田氏は書いているが、かつて侵略したり殖民地にしてしまった隣国が国力をつけ、戦争犯罪の問題は終わっていないと抗弁困難な主張をもって迫ってきているのだから、優越が覆されるかも知れないことへの危機感、不正義を突き付けられることへの恐怖には甚大なものがあろう。それはネトウヨ在特会だろうと、旧来の右翼、新右翼愛国者保守主義者だろうと、濃淡はあっても共通した感覚なのではないか。
 時代的な要因により、右翼や愛国者には「天皇制という国体」が実感としてあるが、象徴天皇制の下、天皇の存在があまり強くは認識されない現代のネトウヨ在特会にとっては、天皇制は意識しづらいという違いがあるだけだろう。在特会の言動の過激さにも注目は集まるが、若く新しい組織であればありがちなことで、本質的な問題ではないように思われる。
 「嫌中・嫌韓」の来歴とは、歴史的に蓄積されてきたことがらの中にあるのではないか。戦後しばらくは左翼や労組の力もそれなりに強かったが、元来、戦前からの天皇制を温存し、支配層は天皇家を中心に政官財は閨閥のネットワークを形成して指導的地位を保ち、反共を名目に設置された米軍基地が依然として世界の警察官たるべく維持、強化されるのがこの国だ。そういう「空間」で普通に生きていれば、力の法則により排外の引力に引っ張られ、一部は極端な排外主義者になってしまう、というのが私の見方である。
 ん、だとするならば、私のような人間の方が、むしろ特異な存在ということになるね。