朝鮮人虐殺ー問うべきは軍の関与、国家犯罪の側面

 横浜で「払い下げられた朝鮮人関東大震災習志野収容所」という記録映画(呉充功監督、1986年制作)を観た。(主催は関東大震災朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会)。関東大震災直後に、千葉・習志野の収容所に集められた朝鮮人を軍が殺害したのみならず、近隣の村に朝鮮人を「払い下げ」、村民に殺させた事実を明らかにした映画だ。
 映画を観る前に、「地域に学ぶ関東大震災ー千葉における朝鮮人虐殺 その解明・追悼はいかになされたか」を読み直したのだが、一市民としてこの重大な事実の発掘、発表に貢献した平形知惠子氏が「そういう軍隊がやっていたこと(朝鮮人殺害)を転嫁するために、朝鮮人を周辺の自警団に渡して殺させていたのではないか」と話しているのを読んで、ハッとなった。私は平形氏らの調査の集大成である「いわれなく殺された人々」(千葉県における追悼・調査実行委員会編)を読んでいたはずなのに、なぜかそのことをあまり意識していなかったからだ。
 そして映画を観た。習志野に駐屯する軍にいた兵士の証言が紹介された。大震災直後に東京への緊急出動命令が出され、実弾60発をもって向かい、列車などに乗っている朝鮮人を引きずり出し、銃剣などで殺害して回ったという。また、当時、船橋署の警官だったという渡辺良雄氏は50人ぐらいの朝鮮人を連れた騎兵に出くわし、「この人たちをわれわれに渡してくれ」と頼んだが、騎兵は「上官から船橋の自警団に(!筆者)引き渡せと命令されている」と言って聞かず、渡辺氏が応援を求めて署に向かったが結局間に合わず、全員が自警団などに殺されてしまったのだそうだ。
 さらに肝心の、習志野の軍から朝鮮人を「払い下げ」られた一部始終を目撃した君塚氏という高齢の地元住民の証言。住民たちはどうやって殺したらよいのか分からず、かといって逃がすわけにもいかず、同様に「払い下げ」を受けた他村からはすでに殺害したとの情報も入ってくるに及び、考えあぐねた末に外部の人に頼んで「鉄砲でぶって(撃って)」穴に埋めたという。
 観終わって何より強く感じたのは、軍の関与の度合いの大きさだ。船橋習志野およびその周辺について言えば、「首謀者」「先導者」としか言いようがないように感じられる。
 あらためて書籍で該当箇所を確認してみた。

 戒厳令が下って、習志野騎兵××連隊が出動したのは9月2日の時刻にして正午少し前頃であったろうか。とにかく恐ろしく急であった。普段から他の兵科よりも『敏速』という云うことに就いては特に八釜(やかま)しく云われてるので可成り慣れているのだが、あの時許(ばか)りは全く面喰ってしまった。・・・さて、二日分の糧食及馬糧、予備蹄鉄まで携行、それに実弾60発を渡されて、いざ出発となると、将校は自宅から、箪笥の奥に、奥さんの一張羅と一しょに蔵ってあった真刀を取り出して来て出発の指揮号令をしたのであるから、宛(さながら)戦争気分![「風よ 鳳仙花の歌をはこべ」(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会)所収の習志野騎兵連隊所属・越中谷利一氏の作品]

亀戸駅付近は罹災民でハンランする洪水のようであった。と、直ちに活動の手始めとして先ず列車改め、と云うのが行われた。数名の将校が抜剣して発車間際の列車の内外を調べるのである。と、機関車に積まれてある石炭の上に蠅のように群がりたかった中から果たして1名の朝鮮人が引摺り降ろされた。憐れむべし、数千の避難民環視の中で、安寧秩序の名の下に、逃れようとするのを背後(うし)ろから白刃と銃剣下に次々と仆れたのである。と、避難民の中から思わず湧き起る嵐のような万歳歓喜の声。(国賊朝鮮人は皆殺しにしろ)。[同上]

「くれてやるからとりにこい」と軍からいわれて断ることはできなかったろう。「主望(ママ)者をとりにやった」という日記の記述には気になるものがある。流言と自警団の緊張のなかで村人はどんな気持ちでいたのだろうか。軍隊のやっていることが伝わらないはずがなかったのではないだろうか。
 受けとりにいった村人に対して、悪いことをした(「あばれた」)不逞鮮人として払い下げた。軍隊から渡された村人にとって、ゆだねられた朝鮮人を生かしておくことはできなかったのだろう。
 のがれたいような、ゆずりあいのあと、村人たちは次々と加害者になってしまった。(「いわれなく殺された人々」)

これは、軍隊のやったこと(注)をカモフラージュし、追及されたときの責任を民衆、自警団に転嫁するためにおこなわれたのではないだろうか。(同上)

 「関東大震災時・朝鮮人虐殺」は「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言飛語があり、それを信じて日本刀や鳶口で朝鮮人を血祭りにしていった自警団、住民の話があり、活動家や社会主義者の軍による虐殺があり・・・といった諸々の重要な事実があるが、いまだにそれらの事実のようには明瞭に語られないのが(自分の不勉強をタナにあげるようで恐縮だが)、「軍による朝鮮人殺戮」の事実ではないだろうか。いや、「明瞭に語られない」どころか、絶えず隠蔽したり印象操作したりする力が働いていないだろうか。次の文章のように。

 未曽有の被災の中で狂乱状況に陥った武装群衆を鎮圧するには軍隊の出動しかなかった。戒厳令によって大きな権限を与えられた軍隊が本格的に出動することにより、9月5日ごろから秩序は回復に向かった。当時、日本陸軍の総兵力は21個師団であったが、ほぼ6個師団に相当する大軍が投入され、治安回復をもたらすとともに、災害復旧に決定的な役割を果たした。(波多野勝・飯森明子「関東大震災と日米外交」を五百籏頭真氏が引用。太字化は筆者)五百旗頭真「関東大震災時の大量殺戮 情報暗黒下の異常心理」への疑問 - 緑の五月通信

 そのため、どうしても「流言飛語にのせられてパニックになった日本人がマイノリティの朝鮮人を殺してしまったが、震災直後だったのでやむを得なかった」という無責任な歴史観が流布してしまうのではないだろうか。問われなければならないのは軍の関与ー国家犯罪の側面である。