「独自の判断」とは何か-松江市教育委員会「はだしのゲン」閲覧制限

 松江市教育委員会の幹部が正式な会議も開いていないにもかかわらず、地元小中学校に対し、中沢啓治の「はだしのゲン」を閲覧制限させたという記事を読み、抗議電話をしたら、学校教育課というところに回され、男性が電話口に出てきた。福島律子・前教育長らの独断専行を抗議すると、男性は「それは教育長の権限で決めていいことになっている」と言うので「どこにそのような規定があるのか」と聞いたら、「申し訳ない。不勉強なのではっきりしたことは分からない」と言われた。そこで、「万が一、明文化された規定があるのだとしても、このような表現や教育の自由にかかわることを、教育長の権限だけで決定できることがおかしい」と反論すると、男性は「そう言われればそのとおりだ」と恐縮気味に答えていた。
 だが、このやりとりだけでは、どういう風に「独断」で決められたのかは分からなかった。そんな時、現地で取材した朝日新聞武田肇記者のツイートが流れてきた。
はだしのゲン閉架問題取材報告by朝日新聞・武田肇記者 - Togetter
 武田記者によると、福島前教育長ら松江市教育委幹部5人は、ある時期まで「ゲン」撤去に断固拒否の姿勢だったのに、第10巻の日本軍の性暴行を含む蛮行を読んで変心、学校に閉架を求める方向にカジを切ったという。だがそんなに簡単に、5人が一度に認識を変えたりするものだろうか。どこかから圧力がかかったということはなかったのか。武田氏は「そんな単純なものではない」と書く。

 今回の問題は市教委が外部圧力に屈して行ったという単純な構図ではないと思う(現時点での取材では、だが…)。外部の陳情があり、議会が審査し、その対策として市教委事務局が「勉強」する中で、独自に問題点を「発見」し、独自に対応し、結局、陳情者らの望む方向に進んでいた。しかも、そこに重大なことをしているという自覚も乏しかった。私は、単純に政治的圧力に屈したという構図でなかったこの過程にこそ、より深刻さを感じる
はだしのゲン閉架問題取材報告by朝日新聞・武田肇記者 - Togetter

 さて、武田氏のこの見立てと、別の新聞に載った福島前教育長のコメントを並べると、複雑な思いにとらわれる。

著作の歴史観を問題視する陳情者や市議への配慮があったのではないか―。この疑問に、福島前教育長は「そうした主張に加担するつもりはない。市議との接触もなく、市教委独自の判断だ」と明確に否定した。
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 朝日の武田氏が深刻にとらえたのは、市教委が誰かに指示されたり要請されたりしたのではなく「独自に問題点を『発見』し、独自に対応し」た結果、閲覧制限に向かっていったという時、この「独自」とは何なのかということだろう。たとえば、撤去を訴える陳情者がおらず、このベテラン市議が「教育の自由」を擁護し、閲覧制限に反対するような人物だったとしても、松江市教委幹部らは「独自に問題点を発見」し、閲覧制限に持っていこうとしただろうかということだ。それはとても考えられないことだと思う。福島氏の「市教委独自の判断」という言葉は空々しく感じられる。 
 今春、東京・町田市が朝鮮学校児童にだけ防犯ベルを配らない決定を下そうとしたのも、神奈川県教委が県立高校の日本史教科書を別のものに変えさせたのも、有力者や議員の直接的な指示や要請ゆえではない。前者は朝鮮の核開発など軍事的挑発から町田市教委が独自に判断したのであり、後者は自民党議員が教科書出版会社の社長の事情聴取をしたり、右翼が抗議してきて混乱するかもしれないと校長会で伝えたりして、そうせざるを得なくなったためだ。町田にしても神奈川にしても公式見解を求められたら「総合的に考えて独自に判断した結果だ」と答えるだろうが、実態は大きく異なっている。
 歴史修正主義を隠さない安倍晋三が総理大臣になったのだから、今後、市教委や県教委が「独自の判断」をするケースはさらに増えるだろう。そもそもこの松江市教委の件も、自民党が選挙に勝ち、安倍政権が動き始めた時に始まったことだ。