「必要なのはデフレ対策ではなくて、構造改革」なのか?

 最近の週刊ダイヤモンド(ネット版)掲載の論説に「必要なのはデフレ対策ではなく、構造改革」とあった。
 しかし底辺層が失業と低賃金に苦しむ現実を知っているならば、こんなことは言えないはずだなのだが・・・。
 論者は構造改革をやらなければ救われない、非効率な企業が温存されてしまうといったことを論点としてあげるのだが、これは一種のやせ我慢の思想にしか思えない。構造改革が必要あることは認めるし、喫緊の課題もあるだろう。しかしなぜデフレ対策は不要であるかのように書くのだろう。無職や低所得者のことはどう考えているのだろう。
 論者は自分が提案する方策によって最終的には底辺をも救うことになると言うのかもしれない。だが、繰り返しになるが、なぜ今救済するための政策—デフレ対策—を打ってはいけないのか。つまりデフレ対策と構造改革とを両方やればいいだけの話ではないか。
 論者は弱者の救済が社会全体の効率性や活力をぐことを懸念しているのだろうか。しかしこのまま放置するほうが社会として非効率を生み出すことになろう。
 私には何よりもこうした論者が、底辺の怠け者に対する懲罰の願望をもって臨んでいるように思えてならない。潜在成長率問題に一喜一憂する前に、私は時給が10円あがって、買う惣菜を一品増やす庶民のささやかな幸せの側につこう。