本当に「東洋」でいいのかー強引さ感じる寺島実郎「世界を知る力」

   本書の注目点はやはり、三井物産戦略研究所所長という財界の一角を占める人物が「日米安保同盟のあり方を根本的に見直し、アメリカと『大人の関係』を構築していくことが重要だ」(154ページ)として、「米軍基地の段階的縮小と地位協定の改定を目指すことは、必ずしも不可能なことではない」(155ページ)と言い切っていることだろう。
 月刊誌「世界」連載の「脳力のレッスン」なども時々目を通していたので特に驚きはないが、新聞や識者の言うように、寺島氏が鳩山首相の主要なブレーンとして日米安保問題に影響力を行使しているのであれば、にわかに重みを帯びてくる。
   私も米軍基地の段階的縮小には賛同する。寺島氏の書くように、独立し冷戦も終わったのに今なお旧態のまま米軍基地を維持する意義はない。
 寺島氏が全共闘世代に属しながら学生運動に与せず「右翼秩序派」などと呼ばれていたのに、今では「リベラル」と言われるのは時代が変わった(東西冷戦が終わった)からだと書いている。つまり自らの政治的立ち位置は変えていないということなのだろう。
 だが彼はフリーの評論家ではない。三井物産という大手商社の利害に否応なく影響されざるを得ない立場にあることには注意する必要がある。
   現時点においては、幸せなことに米軍基地の縮小を主張することは商社マンであることと矛盾していないようである。68ページにグラフを掲げ、「バブル期以降、いかに対アメリカの貿易が相対的に減少し、対中華圏の貿易が拡大していったか、一目瞭然」としたうえで、日本の貿易に占める米国の割合が14%まで低下したのに比して大中華圏(中国、台湾、香港、華僑)の割合は30%強になったとする。
   もちろん三井物産の取引の相手先比率もずいぶん変化したことだろう。相対的に米国のシェアが低まり、大中華圏が高まるなら、大手商社としてはプラグマティックにふるまうべき局面なのかもしれない。数字の裏付けがあるのだから他の部面でも中国重視の姿勢をとるようになってきているのだろう。
 そのことが、寺島氏にも影響していないだろうか。貿易構造の変化は、将来を占う示唆に富む数値だが、それは経済のある傾向を表しているに過ぎず、他分野にそのまま適用はできないのではないか。極論的に言うが、大中華圏の対日貿易が3割を占め、米国の2倍だからといって、政治、外交、防衛、文化など各方面で米国の影響力が中国の2分の1になることは現時点ではあり得ない。
   寺島氏が日米安保問題の刷新のために真摯な提案をしていることは疑い得ないが、貿易構造のおけるシェア低下の問題を重視しすぎて、実際以上に米国の影響力の低下という固定観念にとらわれている恐れはないだろうか。
   さらに、今後の展望として「勃興するアジア」という光景に過剰に思い入れているのだとしたら、大きく見通しを誤ることもあり得る。本書の他の箇所で寺島氏が無批判にアジアに回帰するかのような書き方をしていることに私は懸念を感じる。
「(西洋思想は『分けて制する』、つまり主客(主観と客観、主体と客体)を分別することで地の成立を図る思想にほかならない。そこから、一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ・・・」
とし、他方、東洋思想は「対立概念を避け、主客未分化のまま『無分別の分別』によって円融自在に全体を捉えようとする」「(西洋思想の)論理万能の知性には限界がある」
 このように書かれてしまうと、何か俗論を振り回されているように見えてならない。私自身は、日本人は総じて論理的思考能力が足りないと思う。概念を切り分けて『一般化、概念化、抽象化』するからこそ、何が正しくて正しくないかを自力で知ることができるようになる。日本人にはそのような力が不足しているし、そのための教育も不十分だからこそ、オウム真理教など、論理的に考えたら茶番でしかない新興宗教に取り込まれたりするのだ。当たり前の論理に敬意が払われないからこそ、サービス残業や過労死がまかり通る国なのだ。私たちは、もっともっと理詰めで暮らしている(に違いない)西洋諸国から学ばなければならないはずである。
 にもかかわらず「主客未分化のまま『無分別の分別』」と言われては、いくら何でもという気がするのである。西洋が行き詰まったから次は東洋なのか。なぜそうなのかという「突き詰め」が足りないから「西洋思想→東洋思想」のところで論理が飛躍してしまっているのである。ユニークな地歩を築いてきた寺島氏にしては不用意な展開に思える。その次の一節もそう。
「冷戦型の世界認識という二項対立的な発想のくびきから解き放たれさえすれば、東洋思想を長い歴史時間を経て体内に蓄積する日本人には、格好の活躍の舞台が用意されている」
 たしかに寺島氏や一部の有力日本人には、格好の活躍の舞台は用意されているかもしれないが、それは「東洋思想を長い歴史的時間を経て体内に蓄積」したからではなかろう。論理的な思考力に長けて、そのように話し行動することができるからだろう。
 氏の「『東アジア共同体』の理念」にまつわる話もストンとは胸におちない。寺島氏は日本と中国、韓国など近隣諸国が過去の戦争をめぐっていまだに相互不信の中にあるとして、その解消のプロセスを踏むために、「東アジア共同体」の理念を唱えると言う。
   だが、「戦争の相互不信」は何年かかろうが粘り強く対話を重ねて行く以外方法はないのではないか。かりに「東アジア共同体」があり得るとしたら、それを きちんとすませられたあとのことではないだろうか。
   ところが氏はまず「東アジア共同体」から入ろうとするのだ。強引と言わざるを得ないし、これでは大手商社社員の立場として何らかの利害に影響された発言なのではないかと勘ぐられてしまう恐れもあるだろう。
   寺島氏の米軍基地問題に対する一連の発言には強い敬意を覚えるが、論理的な精緻さを欠いたまま西洋から東洋へ、東アジア共同体へとわれわれを導く姿勢には危うさを感じる。巷間言うように、鳩山首相が本当に寺島氏の考えをバックボーンにして沖縄の基地問題に取り組んでいるのだとしたらかなり危ういものがあると思う。
世界を知る力 (PHP新書)

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