よく考えよう―規制改革自体が悪なのか、そのやり方の問題なのか

 経済学者・岩田規久男氏の著作には、依然としてこの社会で共有されるようになったとは言い難い、安易な規制緩和批判に対する鋭い反論がつづられている。
 たとえば、電力会社の地域独占を排して規制緩和することに大いにブレーキをかけることになってしまったに違いない02年のカリフォルニア州での電力料金の高騰、停電について次のように書く。

カリフォルニア州では発電部門と配電部門を分離するという規制改革を実施しましたが、最終顧客に体する小売り電力料金の上限を規制しました。02年には、 カリフォルニアでは原油とガス価格が高騰したため、供給が減る一方で、シリコンバレーにおける情報ハイテク産業の隆盛などにより電力需要は増えるばかりでした。配電会社は需要に何とか応えようとして、発電会社から電力を買おうとします。配電会社からの電力需要が殺到すれば、供給不足を反映して、発電会社が
配電会社に売る電力料金、つまり、卸売価格は高騰します。しかし、規制によって小売電力料金を引き上げることができなかったため、電力需要量を抑えることができません。このようにして、小売り電力価格が上がらないまま、卸売価格だけが高騰し、それでも十分な供給量が確保できず、停電が起きたのです。
 この事例は、規制改革のしかたが不適正であれば、顧客の利益にならないことを示しています。このことを理解せずにに、・・・『自由化や民営化によって、サービスの質は低下する』といった自由化・民営化反対論に与することは、消費者の利益を損なうことになります」(「日本経済を学ぶ」ちくま新書P.166〜167)

 規制改革、規制緩和を批判する層は労働組合や業界団体であることが少なくなく、その規制を取り去ったら既得権益を失うおそれが強いことが多いため、彼らの規制改革批判は一般的に何がどう悪いのか証し立てるより、情緒的な「ノン!」になりがちだ。カリフォルニア州の電力トラブルのような問題は彼らにとって「鬼の首」のごとき好材料なのかもしれないが、岩田氏に言わせれば「小売価格の上限規制」という「規制改革のしかたの不適正さ」の問題となる。
 岩田氏が全面的に正しいのかどうかは検証が必要だが、それ以前に言えるのは何が正しくて、間違っているのかを慎重に吟味したうえで主張する姿勢が不可欠ということではないだろうか。
 規制緩和策が推進されるなかで馘首などのダメージを被るのは労働者であったり小規模事業者であることが少なくない。彼らはその意味で規制緩和問題の真の当事者というべきだろう。だからこそ、当面する問題を考え抜き、より大きな力を持つ人々の利害に利用されないように注意しなければならないと思うのだ。

日本経済を学ぶ (ちくま新書)

日本経済を学ぶ (ちくま新書)