覚え書きーだらだら書いてきたこのブログは何を目指しているのか

 思うところあって、自分のブログを整理しつつ読み返してみたが、延々と規制改革問題ーそれも効率と公平の問題をめぐって書いている。両者はもともと片方を追求すればもう片方が犠牲になる「トレードオフ」の関係にあるそうなので、私はいつまでも論じ続けることになりそうだが、気になるのは時間の経過とともに方向性がずいぶん変わってきていることだ。
 当初は岩田規久男氏の『小さな政府』を問い直す」の
地域格差の拡大は、『結果の平等』を追求する『国土の均衡ある発展政策』を放棄して、国全体の生産性を高める政策を採用することの代償である。長期的にみれば、この政策への転換は地域格差拡大という犠牲を払っても、国民全体をより豊かにすると考えられる。したがって、地域格差の拡大は阻止すべき政策課題と考えるべきではないであろう」(「『小さな政府』を問い直す」230ページ)

を引用し、その冷徹過ぎる認識への反発を述べる一方で、あの中谷巌氏の「資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言」の肩を持つかのような書き方をしている。(付け加えると、当初も今も私は、時流に合わせて立場を変えてきた中谷氏を評価していない。)
 上記の岩田氏の言については、私が地方出身者であるという個人的な事情もあって、「その通り」と膝を打つことはできないが、論理としてはこういわざるを得ないという納得に至りつつある。つまり「規制改革など経済諸改革は進めなければならない。が、時期や進め方には細心の注意が必要で、セーフティーネットを十二分に張ったうえでやるのでなければならぬ」。立場としてはイギリス・ブレア労働党政権下で進められた「第三の道」に近いと考えている。

 もう一つの矛盾はこのように限定付きながら資本主義体制下での自由主義にのっとった諸政策を認めながらも、その総本山である米国の、他国で戦争をしていない時が一刻もないかのような行き方には批判を向けざるを得ないし、そこで引き起こされてきた悪は世界の諸悪の根源をなすのではないかと見ていることだ。→「アメリカは正気を取り戻せるか」と「アメリカン・ジハード」が指し示すものComments 

 もちろん「『自由主義』を推進し平和的に運営することは可能。他国を侵略する行為とは無関係」という反論もあろう。「帝国主義」などという用語は死語なのかもしれない。原田泰「日本国の原則 自由と民主主義を問い直す」(日本経済新聞出版社)などは「自由の原則を踏み外し、軍が統制経済の道に引きずり込んだことが日本破綻の原因」として、全編、「自由の原則」の素晴らしさを証し立てている。(それは相当程度成功していると思う。) 
 だが現代史はそれを容易には肯定してくれない。米国はその資本主義、自由主義を守るため、共産主義拡散の脅威を理由にベトナム戦争を戦い 、石油権益を維持する中東政策のもとでイラクを侵略した。「大量破壊兵器!」と叫んだものの、そんな風に敵対しなければならないほどサダムフセインを強大にしたのも自分たちだし、大量破壊兵器なるものを最も多く保有し、取り扱っているのも自分たち、しかも肝心のイラクには大量破壊兵器はなかったというデタラメさだ。そして、そのような米国の軍事・外交政策で維持される世界秩序に守られて、ようやく「自由の原則」をキレイに行使しているのが今のわれわれの姿なのではないだろうか。「その『自由の原則』を平和的に広めて、その血塗られた秩序を変革していくのがオバマ氏に課せられた課題なのではないか」と言われれば私も同意するし、声援を贈りたいが、20世紀と21世紀初頭の世界の戦争をめぐる歴史はあまりにひど過ぎた。

 だから私は「資本主義」と「戦争」の問題は考え続けたいし、そうした世界秩序の下で犠牲者たることが多く、ゆえに挑戦者たらざるを得ないムスリムの国々、人々の問題にも注意を向けざるを得ないと考えている。


日本国の原則―自由と民主主義を問い直す

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合衆国再生―大いなる希望を抱いて

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