何もかも奪いつくされるけれど−「SR サイタマノラッパー」

 次に経済学者・高橋洋一氏のことを取り上げると書いたが、その前に忘れないうちに。
 誰にとってもそうじゃないかと思うが、それぞれに「忘却映画」と「反芻映画」というものがあるのではないか。いま公開されている(はずの)スタローン君の「エクスペンなんとか」という映画はおそらく、記憶にとどめようとしても止められない「忘却映画」だろう。それとは違い「反芻映画」は、観たあと、当人が意識しないのに、勝手に脳が粗筋や場面を何度もリピートする映画のことだ。
 私のアンテナにもあるブログ「特別な1日(UNA GIORNATA PARTICOLARE)」を読んで、ん、と思い、「SRサイタマノラッパー」というDVDを川崎駅前のツタヤで借りて観たが、これは「反芻映画」だった。
 予告編はどこかで見ていたが、邦画全般に対して偏見のある私には「安い」「さむい」という気がしてとても観ようとは思えない印象だった。内容を手短にいうと、埼玉のフクヤ市(まあ深谷市なんだろう)に住む落ちこぼれの若者がいろいろとイタい目にあいながら、ラッパーとしての自分に目覚めていく映画だ。
 これを読むと、ああまたか、と思う人がいるだろう。みじめで無力な主人公がラッパーとしての成功を求め、努力し、もがく映画。ようするにボクシングとか野球とかフラダンスとか、ちょっと考えたらいくらでも類似の映画が思い浮かぶ。ひとしきり涙し、映画館を出た直後は「俺も!」と思えるけれど、そのあとの日常生活には、これといって役に立たない映画たちー。
(このへんからネタバレ注意)。
 この映画の主人公はいかにもトロそうな、ちびで小太りのあんちゃん。形容するのが面倒なので書かないが、いかにも田舎のラッパーでござい、という格好(←全然これでは分からないが、ようするにヤンキーと対して変わらない格好)。ダメさ加減が充満していて、高校生の時は勉強もスポーツもできず、おとなしくて存在感もなく、モテるわけもない、いじめられっ子であることがよく分かる雰囲気・・・。
 実は私は、彼がみじめな経験を乗り越えて最後に晴れてラッパーとしてデビューして、ヒロインが彼を見直して惚れなおす(ちょうど、東京でAV女優をしていたが舞い戻っている女性が出てくるので)という展開になるのだと思っていた。
 しかし予想とはまったく異なっていた。というか逆さまだった。
 まず主人公はスポ根的な努力をしない。昼前まで寝ていたり、ぶらぶらしているから妹にバカにされたり、高級車に乗ったお兄さんたちにフクロにされたり、というそんなうだつの上がらない毎日。仲間だと思っていたラッパーたちには「お前たちは(歌の)ネタに過ぎなかった」と思い切りバカにされて捨てられ、最後には相棒にまで「貸していたいCD返して。東京にいくから」と去られてしまう。
 主人公は、サングラスも分厚いコートもCDウォークマン(フクヤに居られなくなって去るヒロインにやってしまった)もはぎ取られ、いがぐり頭にTシャツ、前掛けをして、バイトとして食堂のレジの前に立っている。すべてを奪われ、はぎ取られて裸にされてしまった素寒貧な姿。「ラッパー」などという、きらびやかな存在といかにほど遠いかが露骨なまでに露わにされてしまった場面。
 「何だ、この映画は、ライブデビューしないのか。じゃあ、どうやって観客にそれなりの小さな希望を与えてくれるんだ」と不安になっていたら、何とそこに「東京に行く」といって主人公と別れたはずの相棒が作業員か何かの格好をして同僚たちと店に入ってくる。
 その姿をみて、おそらく何かを卒然と思い知ったに違いない主人公はレジの前に立ったまま、唐突にラップを口ずさみはじめるのだ。「おれたちは今はダメだが、絶対にあきらめてはいけない」と。これに相棒もラップで答える。「お前はフクヤのような田舎でいつまでバカ言ってるんだ。生きて行かなきゃいけないんだ。ラッパーなんて夢みたいなことを言うな」と。けれど主人公は「あきらめるな、フクヤから世界に発信しよう」と応じる。ストップモーション、唐突にここで映画が終わる。 
 見終わった直後、ブログ「特別な1日」のSPYBOY氏に「尾羽打ちからした主人公がヒロインと心を通わせあう「街の灯」のラストによく似ていると感じた」とコメントを送った。
 だが、この場面を何度も反芻する(というよりオートマチックに脳がリピートする)うちに、それ以上のものが含まれていると思うようになった。
 多くのスポ根型映画は、主人公がちょっとずつ努力し前進し、世俗的・経済的な約束がされた晴れ舞台に登場して終わる。この映画は逆。みじめに奪い尽くされ裸にされ逃げ場もなくなることによって、初めて自分の歌を発見するのだ。自分の惨めさに向き合い、逃げないでつかみ取るこの場面はすごい。
 まあ、こんなふうに書いても、観ようと思う人は少ないだろう。ふつうのスポ根映画のほうがカンフル剤にはなるから。だが、少し見方を変えて、元気をもらって明日の活力にしなきゃならないと思うことこそ、どれほど自分を追い詰めることになっているか考えてみてもいいのではないか。
 今どき、みんな苛立っていて、ダメな人、とろい人、空気の読めない人を露骨に軽蔑し、攻撃する。どうしてだか分からないが、このことはいつの間にか私たちの社会で正当化されてしまっているように思う。 
 私も無意識のうちに自分よりうだつのあがらない人間を捜している、劣等感から逃れるために。
 私はいかに自分がダメな人間であるかを思い出したいと思う。
 そんなことは前から分かっていたことなのだから。

SR サイタマノラッパー [DVD]

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