尖閣問題が私のブログにもたらしたもの

 今回の尖閣列島の騒動についてネットで情報を収集していてようやく気づいたのだが、これほどまでに右翼的、反中国的な考えが蔓延しているとは想像していなかった。
 内容が内容だけにその手の人々がワッと投稿したのだろうか。たぶんそうではないのだろう。実生活において会う人々との会話にも、その種の考え方は当たり前のように飛び出してくる。一人は低賃金でこき使われている私の古くからの友人。尖閣の件が起きてからは会っていないが、彼にとって中国はいわば「うかうかしていたら日本も飲み込まれてしまう、非情な全体主義国家」である。尖閣の一件で彼はどれほどボルテージをあげていることか。いま飲みにでもいけば間違いなく喧嘩になり、絶交ということになろう(だから今はできるだけ行きたくない。)
 今回、どういう経緯だったか忘れたが、「Melancholic Days - 憂愁日記 -」というブログで「利用された(?)漁船衝突事故【安全保障問題へと摩り替えか?】」という文章を読み、はじめてこの事態を能動的かつ批判的に見るようになり、久しぶりに田中宇のホームページを訪ねて「日中対立の再燃」を目にして、ようやく納得しうる考え方に到達することができた。
 これら一連のことはいわば愕然とさせられる体験だったのだが、そうした中で「数学屋のメガネ」「アンチナショナリズム宣言」「media debugger」といった真っ当かつ高度なブログに出会えたのは幸運なことだったが、同時にここ数年間自分は何をしていたのだろうとも思わされた。
 私は5年ほど前から、ある事情があって、社会的な問題についてメーリングリストに発信したり、会合に出て意見を述べたりすることを控えていた。加えて、米国大統領がブッシュからオバマに代わったことも私をまどろませる大きな材料となったと思う。
 そうした中で始めたこのブログは主として、規制緩和、規制改革問題をどう評価するか、さまざまな論者の本を読んであれこれ考えるという内容となった。この問題に関する私の評価は時間の経過とともに、「規制緩和反対」から官僚制や官僚主義的なものを打破するために市場の力を活用せざるを得ないーすなわち規制緩和構造改革賛成ーの考え方へと変わりつつあった。
 だが今回、日米中の覇権をめぐるやりとり、右翼と左翼、侵略主義と平和主義のせめぎあい等々に触れるにつけ、いつの間にか自分が井の中の蛙になっていたことに気づいた。
 それゆえ、この次の文章では、かつて本ブログで好意的に触れたこともある市場原理主義者(といっても構わないと思う、ミルトン・フリードマンを称揚している人でもあるし)・高橋洋一氏を取り上げようと思っている。彼の尖閣問題に関する文章が唾棄するほかない内容だったからだ。