「リバタリアン宣言」(蔵研也著、朝日新書)−「右」と「左」でなぜか同じ見解。でも内実は・・・

 【追記】中島徹「財産権の領分」を読み、リバタリアニズムが持つ非人間性−弱者がリバタリアンとして生き、犠牲にならざるを得ない残酷ーについてあらためて思うところがあり、下記を書いた時点より批判的であることを付け加えておく。
(本文ここから)
 前から知っていた「極東ブログ」をあらためて読み返している。何か参考になればと思って。書評はさすが、というしかない。あれらを読むと、この私はケチをつけるために本をダシにしているということがよく分かる。かの書評は、「読む楽しみ」に満ちていて好ましく、すぐにでもアマゾンでクリックするか本屋で手に取りたい衝動にかられるものばかり・・・。軽薄にも早速購入して読み終えた「リバタリアン宣言」(蔵研也著、朝日新書)。私が関心を持っている規制緩和にも通ずる話でスンナリ読み終えることができた。
 著者の蔵氏は、EUで電波枠の競売が行われ、約14兆円が国家歳入となっており、電波利権としてテレビ局や通信大手の従業員や株主への莫大な利益になっていることを説明したうえで、
「・・・ 2005年11月5日付『週刊ダイヤモンド』によると、フジテレビ職員は平均年齢39.8歳で平均年収は1567万円、・・・その実態では年収2000万円に及ぶのはごく普通のことだといわれています。しかし、番組制作の多くが下請けのプロダクションに任されているのが現実です。これを考えれば、テレビ局という組織は、つまり国家によって許可された電波の枠を切り売りしているだけなのです。それによって、庶民には信じられないほどの給料が既得権益として支払われていることを理解してください」とし、
「いうまでもなく、リバタリアンな政策とは、電波帯域をすべて競売にかけて、だれであれ、より有効に利用できると考えるものがそれを落札して利用するといういうものです。・・・そもそも電波行政などと称して、技術センスも経済感覚もない中央官僚が電波帯域を割り当てるという仕組み自体が、現代のITの急速な進歩とそれに伴う企業家精神を圧殺しているのです」(137〜138ページ)
と書く。
 さらに、日本の薬事法では、日本の製薬会社の既得権益を守るために他の先進国で認可された薬であるにもかかわらず国内で販売できない、日本の風邪薬の値段は有効成分で比較すると、アメリカの実に40倍であるということを指摘したうえで、
「ここでも誰が被害者なのでしょうか。もちろんブランドを気にしなくてもいいから、とにかく関節痛やのどの痛みなどを抑えたいと考える低所得の消費者であることは明らかです。生涯にわたって服用する薬の費用が40分の1であれば、どれだけ家計は助かるでしょうか」
と書き、国家は人を救いもするが、見殺しにもしていると警鐘を鳴らしている。
 氏はリバタリアンだからこのように国家の諸規制撤廃を唱えて当然だが、私はここで最近読んだ鎌田慧の「抵抗する自由」(七つ森書館)に同じ指摘があったことを思い出した。
 鎌田氏はテレビ局の孫請けプロダクションのベテランの給与が30万円程度なのに局の社員のそれが年収1400万円前後だとして「こういう格差は許されないはずで、不正にほかなりません」(237ページ)と書く。
 だが、鎌田氏の批判の矛先は規制問題や電波利権には向かわない。そのかわりに、北九州の製鉄所の構内で起きた労災事故をあげ、亡くなったのは社員ではなく「下請けの人と孫請けと、そのまた下請け」だったとして、下請け構造批判につなげていく。
 トヨタ期間工にまでなってルポを書いていたのだから、こういう展開になるのは当然なのかもしれないが、ここで気になるのは鎌田氏がこうした総務省の電波規制の問題をどうとらえているのかということだ。(もちろんマスコミ業界で長くやってきた人なので電波規制を知らないはずはないと思うが。)
 このように書くのは、氏は同書でタクシーの量的規制緩和で収入低下に見舞われたタクシー運転者を「本当に気の毒」と同情し(231ページ)、「中小企業は中小企業で生きていくような分野調整法というのがあったのですが、それはけっして過剰な規制じゃなかったんです。社会的な規制は必要で、弱者はそれなりに生きていけるようにするというのが政府の役割なんです」(229ページ)とし、「『改革』『規制緩和』とは、大企業がより儲けるためのモラルの『破壊』だったのです」(216ページ)とまで書いているからだ。
 これらについては「規制」の護持を訴えているのに、「電波の割り振りはどうぞご自由に」と鎌田氏は言うだろうか。その可能性はとても小さいと思われる。意地悪な言い方になるが、放送労働者とその家族の生活を懸念して鎌田氏は電波割り振りの規制緩和には反対するのではないか。
 しかし、だ。そのような構造を見過ごすからこそ下請けプロダクションの低位な労働条件が固定化されてしまうのではなかったか。「タクシーの運転者は気の毒だ」と同情を寄せるからこそ、タクシー業界はいつになっても経営者があぐらを書いていられる非効率な(すなわち、回り回って利用者に損失を押しつける)業界のままなのではないか。中小企業と名がつけば「零細で気の毒」と同情し、ゾンビと化した企業を救うからこそ、最終的にわれわれ庶民にそのツケが回され、税金は高いままなのではなかったか。
 私には、鎌田氏が「いかにも分かりやすい、社会の強者と弱者の構図」とでも言うべきものを簡単に信じすぎているように思える。蔵氏の「リバタリアン宣言」はこのような良心的とされるジャーナリストの当然のような口調へのアンチテーゼに十分なり得ている。
(追記:それにしても鎌田氏はなぜこうも国の規制に期待しようとするのか。著書「抵抗する自由」とは成田空港建設を巡って国と闘い続けた人々の話。木で鼻をくくったような、無責任きわまりないのがこの国であることを、鎌田氏は長年の取材経験から身に染みつくくらい知っていると思うのだが)
 

リバタリアン宣言 (朝日新書)

リバタリアン宣言 (朝日新書)

抵抗する自由―少数者として生きる

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