分からないことは分からないと言えー極東ブログ「尖閣沖衝突事件の中国人船長を釈放」

 今回の尖閣の問題はおびただしい報道はあるが、ナショナリズムがからむ領土問題なのだから、懐疑的に接しなければならないと思っていた。嘘と扇動まみれになるのは目に見えているからだ。にもかかわらず多くがマスメディアの報道を鵜呑みにしているようだ。
 海保、警察、検察とー日本の官憲が時にいかに大嘘をつくかは、大阪の騒ぎでみな分かっているはずだ。
 そういう懐疑の念をかなぐり捨てて中国批判のボルテージをあげまくっているブログは多い。知的だが、心情の点ではそれらと大差ない極東ブログに送ったコメントを掲載する。


「この問題の前提は、尖閣の海域が日中漁業協定で取り締まりに関して何ら定められていなかったことであり、トウ小平以降、「日中は尖閣で敵対せず」と申し合わせてきたこと、通常であれば逮捕などしないのが慣例となっていたことである。
田中宇「日中対立の再燃」を見よ http://tanakanews.com/100917senkaku.htm
 大人の知恵として「荒だてない」ことが互いのお約束だった海域であることを考えるとき、その一触即発の環境下で「どちらが政治的意図をもってしかけたのか」ということは決定的に重要である。
 極東ブログ氏も賢明にも「北京側としては、いつも通り日本は「漁民」を送還してくれるものと期待していたし、それがいわば暗黙のプロトコルであった」と書いている。だが、こういう冷静さがあるなら、なぜ、日中どちらがしかけたのかということについて、「中国の漁船」と断定したのか。しかも漁船の中国軍との関係や計画性の存在を示唆しつつ。
 なぜ誰も「実は日本側からしかけたのかもしれない」との可能性を考えないのか。私も真相は分からない。だが、極東ブログ氏もまた分からないはずだ。その意味で正しい態度とは、まちがいなく「冷静に推移を見守る」こと意外にない。にもかかわらず、極東ブログ氏は最終的に中国側の仕業と断定した。
 しかも、その後の文章では今回の件の遠因として中国政府の権力闘争の可能性にまで触れている。かりに、日本側の「暴発」であったとしたら、氏のこれらの文章は恥ずかしい妄言であり、有毒なデマゴギーということになろう。
 大阪の検察があのような嘘つきなのに、なぜ極東ブログ氏も、ほかのたくさんの日本人も、今回の報道を鵜呑みにするのだろう。ナショナリズムの火花が散る場所は嘘だらけと認識しなければならないのではないか。
 繰り返しになるが、私にも真相は分からない。だが分からないことは分からないという態度で踏みとどまりたい。極東ブログ氏のように本当は分かっていないことを分かったように書き連ね、結果として人々を煽動するのは大変まずいと思う。
 極東ブログ氏はむしろ中国政府ではなく、日本国内の動向に目を向けるべきだっただろう。この問題でさわぎ、日本人のナショナリズムに火をつけるのには、実に良いタイミングである。沖縄の基地をはじめ動揺する日米安保を強化する世論形成が容易になるからだ。しかもこのことが、岡田から対中強硬かつ親米の前原に外相が交代する時に起きているタイミングの意味を考えるべきだろう。
 私は極東ブログ氏の書評を読み、何冊もそれらを購入してきたが、今回の文章を読んで思い直した。
 上品で知的ではあるけれど、極東ブログ氏は真の意味で「保守反動」なのだと思う。」

国権と民権 山川暁夫=川端治論文集

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