軌道修正を図る

 沖縄の基地問題尖閣列島海域での中国漁船拿捕事件(「衝突事件」では不正確なのでこのように記す)を経て、市場主義や新自由主義的の国家主義との結びつきという側面をあらためて考えさせられている。
 これは直接的には、「市場原理主義者」といってよい経済学者・高橋洋一尖閣の件で拍子抜けがするほど国家主義的な論を展開していたのに触発された(尖閣問題からー市場主義と国家主義 - 緑の五月通信)のだが、財政学者の神野直彦の次の文章にも寄っている。

市場主義は国家主義との親和なしには成立しないのである。それはサッチャーにしろ、レーガンにしろ、自他ともに許す国家主義者であったことを想起してもらえば、容易に理解できるはずである。市場は国家の暴力による強制力なしには機能しない。

 実はかなり前、市場主義のこうした欠陥(ある意味、決定的に重要な欠陥)について、「アメリカは正気を取り戻せるか」と「アメリカン・ジハード」が指し示すもの - 緑の五月通信との一文を書いて追求しようしたが、その後、うまく展開させることができないままになっていた。
 これまで書いた文章には、市場主義肯定の過ぎる記述があるため、気になるものについては、冒頭に【追記】として補足を加えることにした。それらは下記の文章である。

「リバタリアン宣言」(蔵研也著、朝日新書)−「右」と「左」でなぜか同じ見解。でも内実は・・・ - 緑の五月通信
営々と続く官僚主義との闘い—「恐慌は日本の大チャンス」(高橋洋一著、講談社) - 緑の五月通信
藤田和恵さん、この報告は安易すぎないか−「公共サービスが崩れてゆく 民営化の果てに」 - 緑の五月通信