「暴力装置」の語義を云々している場合ではない−自衛隊への右翼浸透の危機について

 仙石由人・官房長官が11月18日の衆議院予算委員会自衛隊を「暴力装置」と表現したとの記事について、「はてな」では例のごとくネトウヨ的なブクマコメントがずらずら並んだ。私はうんざりしつつ、次のようなコメントを付した。
 「自衛隊が『暴力装置』であるのは自明の理。それを『政府こそが暴力装置』などとすり替えて非難するのは幼稚な詭弁である。自衛隊による政府打倒のクーデタの可能性だって可能性としてはあり得るじゃないか。 」
 その後、この議論はなぜか『暴力装置』という用語の学問的な定義の論争に発展。かの極東ブログ氏はマックス・ウェーバーを引用したり、「暴力装置」のドイツ語原語の意味にまで遡りつつ、「自衛隊は『暴力』であり、それを統御する国家こそが『暴力装置』である」として、自衛隊を「暴力装置」と理解することの誤りを指摘した。

タコ焼き器の例で言えば、タコ焼きをひっくり返すのに先の尖ったキリ(千枚通し)を使うけど、あれが人を刺す凶器ではないのは、タコ焼き器という"apparatus"に統合されているからだ。
 同じように、自衛隊というのは「暴力(Gewalt)」だけど国家という暴力装置に統合されているから安全に管理されているし、正当に使用されるから市民は安心できるということなのだ。

(「自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる」http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/11/post-669f.html
 極東ブログ氏はこれの前に「自衛隊暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ。」という文章も書いている。学問的に厳密にみて「暴力装置であるのは国家」というのなら私はそれで構わないのだが、読むうちに、議論が「用語の原義」というつまらない方向に引っ張られていく空しさを感じた。
 そもそもなぜ、仙石氏は自衛隊を「暴力装置」にたとえたのか。

 仙谷氏は18日の参院予算委員会で、公務員の政治的中立についての自民党世耕弘成幹事長代理への答弁で、「暴力装置でもある自衛隊、ある種の軍事組織だから特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と自衛隊を「暴力装置」と表現した。

11月19日付けスポニチ社会面(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2010/11/19/04.html
 さらに、

 仙谷氏は、防衛省自衛隊関連施設での行事に政治的発言をする者を事実上呼ばないよう通達を出していたことに関し「民間人であろうとも自衛隊施設の中では、表現の自由は制限される」とも発言。自民党など野党は通達に対し、憲法に規定された「表現の自由」を侵害すると問題視しており、こちらも尾を引きそうだ。

(同)
 自民党が「表現の自由」を云々しているのには苦笑を禁じ得ないが、それはさておき、今回の仙石氏の答弁が「防衛省自衛隊関連施設での行事に政治的発言をする者を事実上呼ばないよう通達を出していた」ことに関してであることが分かる。
 この「政治的発言をする者」については「産経クォリティ」(誰かが使っていて気に入った言葉)に燦然と輝く(?)産経新聞が21日付で報じている。

 今月3日の入間基地での航空祭で、荻野会長(筆者注:自衛隊のOBなどで構成する民間団体「航友会」の荻野光男会長)は「菅(直人)政権をぶっつぶしましょう」と発言。これを受け、防衛省は10日付で通達を出し、自衛隊施設内での行事について、(1)政治的行為と誤解されることを行わないよう参加団体に要請(2)誤解を招く恐れがある場合は参加を控えさせる−などの対応策を指示した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101121/plc1011212034007-n1.htm
 
 自衛隊でこのような偏向した政治的発言が公然と許されること自体、「言論の自由」とは別の次元の大問題であり、シビリアンコントロールの観点からいって防衛次官通達は適切な措置だったといえよう。仙石氏がこの流れで「自衛隊暴力装置でもあるのだから」と発言したのは多少不用意だったかもしれないが、「自衛隊の政治的偏向の誘発」という問題が主眼であることを考えれば、実は大した問題ではないことが分かる。
 という以上に、河信基氏のブログ「河信基の深読み」などを読むと、事態は実は「暴力装置」の定義を云々している場合ではなく、看過できない段階に至りつつあることが了解される。

・・・防衛次官通達に産経新聞などが噛み付くのは右翼の一連の対自衛隊浸透工作に支障が生じるからに他ならない。
 その端的な例が、荒木和博「特定失踪者問題調査会」代表グループである。予備自衛官ブルーリボンの会長を兼ねる荒木氏は今回問題となった入間基地内などで公然と拉致問題の署名、募金活動を行ってきた。看過できないのは自衛隊員への洗脳工作だ。
 安明進・元工作員らの「似ている」詐欺情報を基に「未帰還日本人拉致被害者が数百人いる」と荒唐無稽なことを自衛隊員に信じ込ませ、「救出のために自衛隊を送り込むべきだ」と狂気じみたことを吹聴している。
 笑えないのは、かの田母神氏もその馬鹿げた作り話を信じているフシがある事である。
 かつての航空自衛隊制服トップがその調子だとしたら、汚染はかなり広がっていると見なければならない。

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/42258618.html
 極東ブログ氏は「自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる」と書くが、今回の問題の本質は自衛隊が「国家内国家」ー「暴力装置」に変質する恐れがある、ということなのだ。その意味で仙石氏は正しい、とまで言うつもりはないが、極東ブログ氏が「週刊誌的理解」だとしたhokusyu氏の方がアクチュアルに現下の政治状況をつかんでいると言えるのではないか。
 さらにいえば、このような重要な問題を、くだらない語義をめぐる議論に矮小化する極東ブログ氏はいよいよもって「保守反動」なのだと思う。