「命なりけり」と気づく時−吉本隆明「15歳の寺子屋 ひとり」

 会社からもらった本(会社は新聞社)。今さら吉本隆明?と思ったが、意外に佳い。大昔、「共同幻想論」は読んだけど、それ以来何も読んでいないから、知らないも同然だが、モラリスティックで真っ当な人であることがよく分かった。ちょっと抜き書きしておこう。

そこで、思い出すのが西行の歌です。

 年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山

 西行も、やはり人生を長い旅路に重ねています。「小夜の中山」というのは、東海道の難所でした。この歌を詠んだ時、西行は六十九歳。かつて若い頃に越えたところを、そんな高齢になってまた越えようとしている。「命なりけり」というのは、そういう自分の人生を振り返っての感慨だと思うけど、僕が今読むと、「それが自分の宿命だったんだ」というような少し思い意味で響いてくる。
 生きていくことは、たぶん誰にとっても行きがけの道なんですよ。立派な人にはまた特殊な見え方があるかもしれないけれど、僕ら普通の人間は、悟りを開いて帰りがけになるなんてことはまずないんだってことが自分でわかっていれば、まずそれでいいんじゃないか。人は誰しも行きがけの道を行く。そうして迷いながら、悩みながら、ただただ、歩きに歩いていくうちに、ああ、これこそが自分の宿命、歩くべき道だったんだと思うことがあるんじゃないか。「命なりけり」と気づく時がくるんじゃないか。

 イースタンユースの歌詞みたいだ。おれもいつか、自分の宿命を知ることができるだろうか。

15歳の寺子屋 ひとり

15歳の寺子屋 ひとり