もはや「つぶやき」ではなく—在日の人々の嘆きが聞こえる

 私が本格的にツイッターを始めたのは昨年12月始めのこと。どなたかが国際問題評論家の孫崎享氏のツイートを紹介、それがめっぽう面白く、ぜひリアルタイムで読みたいと思ったのがきっかけだ。
 ちょうど、韓国軍の至近距離の軍事訓練に対して朝鮮が砲撃、民間人の死者が出て、日本のマスメディアがその経緯をふまえることなく、朝鮮批判を繰り出していた折だったので、自己紹介の欄には「日本が中国や朝鮮へ敵対的になるとともに、国内では在日韓国・朝鮮人らマイノリティへの排除の姿勢を強めることを懸念する一市民」と記した。 
 使い方もよく分からないうちに、先頃、渋谷での在特会ら差別集団に対し、ひとりで非暴力的表現で立ち向かった「黒い彗星」氏がツイートしているかもしれないと検索しているうちに、少なからぬ在日韓国・朝鮮人がツイートしていることを知った。
 ツイッターは生々しいメディアだと思う。それはリアルタイムだから、というだけではなく、そのとき感じたこと、考えたことを深く考えないで「つぶやく」べきツールであるため、その「つぶやき」に初発の感情が残留しているように読めるからだ。
 最初に目を止めて何度も読み返したのはmmunsung69氏の次のツイート。
 「日本が好きで、永住する在日コリアン達。しかし檻の中のような社会でどのように自由と公平を勝ち取れるのか?おとなしく生きて行かねばならないのか?この息苦しさを打破する方策は無いのか?むなしい」(12月16日)。
 映画「シュリ」、冬ソナブーム、韓国アイドルグループの追っかけ、新大久保の豚カルビ料理店に列をなす若い女性たち—など、一大ブームとなった韓国芸能文化、食文化への一方的なあこがれの表出は、在日(特に在日朝鮮人)の問題や南北対立という過酷な歴史への理解を深めることにはほとんどつながらなかったようだ。あるいは、ブームはすべて韓国に関するものであり、「韓国はOKだが、北朝鮮(朝鮮)はダメ」という一線もあらかじめ引かれていたのかもしれない。
 その後、私が菅政権への不支持を決めた「朝鮮高校に対する高校無償化制度適用を留保」の一件に続き、これに呼応するとしたら不気味としか言いようのない脅迫状がマスコミに送られる。
 minsu615氏は23日、「 @h_hyonee: RT @han_org: このタチの悪い妖怪を呼び込んだのは、いったい誰だ?/赤報隊名乗る脅迫文が報道各社に 子どもへのテロ予告『全国朝鮮人学校生徒 駆除実施』」に対して、こう呟いた。「怒りと同時に、子を持つ親として震え上がります。」。 
 そして追い打ちをかけるように「東京都が朝鮮学校への補助金支出を中止へ 全国初 」。報じたのはMSN産経ニュース(「全国初」と嬉しげなのが産経クォリティの馬脚)。これに対して在日の方々が投稿したはもはや「つぶやき」ではなく、「うめき」であり「嘆き」と言えた。
 paktong222氏「クソ石原がしでかしました。皆さん立ち上がりましょう。」
 kayagum1959氏「日本は朝鮮に対する過去の借金(植民地支配)も返していないのに、
 1945年以降も朝鮮と朝鮮人に対する借金(弾圧)を増やし続けている。何があろうと
 絶対に耳をそろえて返してもらう。」
 minsu615 氏「反日と言う言葉…使いたくないな。『日』という言葉に『日本人すべ
 て』が含まれているように聞こえるから。そうじゃなくて。ここでの『日』は日本の政
 府だ。平和や平等を願わない人がいるのか?ただ…このままじゃあ在日コリアンはます
 ます生きにくくなりそうだ。」
 一方、3人の子の母親である小金井市のyongsugi 氏は市議会最終日に「朝鮮学校への『高校無償化』即時適用を求める意見書」を賛成多数で可決、政府・国会に向けて送付したとのお知らせが入りました!! よかった!!ほっとします。子どもたちに日本社会に対しての望み持たせることができます。」とツイート。
 だが、そこに日本人と思われる@powerpc970による「差別されてるというなら言い掛かりです」との心ない言葉が投げつけられる。
 そうした中、ツイッターのタイムラインには刻一刻と人々の「つぶやき」が流れてくる。「新しいツイートが○件あります」と・・・。
 この、小金井市のyongsugi氏の祈るような「つぶやき」と交互に、偶然にも私がツィッターを始めるきっかけになった孫崎氏のツイートが投稿されてくる。そこで言及されていたのは、何と「第二次朝鮮戦争」勃発の可能性だった。
 「20日CNNは『朝鮮半島での戦争への3つの道』掲載。著者は米国国防大学部長、英国IISS研究部長等歴任、日本通でもあるクローニン。3つの道は、(1)偶発的エスカレーション、(2)抑止の崩壊、(3)急激な北朝鮮体制崩壊。・・・・韓国の対応は従来より、攻撃的。エスカレーションが両国意図を越え進行の可能性。米国最大規模の日米合同演習など求めて来ているのはこうしたシナリオを想定の動き。菅首相殿、この深刻度をご理解いただいてるでしょうか」と。
 かりに韓国・朝鮮の両国が応酬を開始すれば、韓国の戦時統帥権を持つ米国は主体的に参戦し、日米同盟のもと、日本も戦時体制に組み込まれ、在日朝鮮人は「敵性外国人」(もっとソフトな言い方になろうが、中身は同じ)として苛烈な抑圧を被ることになろう。
 では、そんな中でこの私は、そのような仕打ちが不正きわまりなく、その不正を行っているのが日本政府であること、したがって日本人が自らの責任として阻止しなければならないことを知っていながら、なすすべもなく、真夜中にキーボードを叩いている。子どもの頃、学校で米国の黒人奴隷への差別、ヨーロッパのユダヤ人差別とナチによるホロコースト、何よりも日本のアジア侵略戦争など、とても人間の所業とは思えない数々の罪を学習したが、どこか遠い世界のことのようにも思ってきた。
 しかし、いま日本社会が在日韓国・朝鮮人に対して行っていることは、これらに劣らない差別だということだけははっきりさせておかなければならない。たぶん「歴史」になれば、その出来事を冷静に振り返ることができるのかもしれないが、意識していない限り、人間は自分の目の前で行われている差別にはなかなか気づけないものなのではないだろうか。
 このように昨年末、ツイッター上で在日の人々の「つぶやき」に接することができたのは意義深い経験だったと思う。そして、先にも引用させてもらったminsu615氏がクリスマスイブに発した次のつぶやきを私は忘れないだろう。
「隣で次女が『今日はサンタさんがプレゼントくれる日やで〜』と笑っている。 …一歩外へ出ると、子どもが学ぶ権利すらもらえず、戦って勝ち取らないといけない地である。その権利でさえも再びもぎ取られるという、そんな国に住んでいるんだよと、そろそろ伝えなければならない。」(12月24日)