pr3氏「被曝と差別問題への返答」への疑問-被曝忌避がなぜ福島への差別になるのか?

 pr3氏から「被曝と差別問題への返答 http://d.hatena.ne.jp/pr3/20110925/1316962873」をもらった。トラックバックという仕組みがイマイチよく分からないが、たぶんここに書けば氏も気づいてくれるだろう。
 文章を拝読したが、私自身、前便の主張を変える必要は感じなかった。

「あっち側」と「こっち側」を区別する人々、言い換えれば「被爆した地方」と「被爆していない地方」の区別をし、安全地帯から傲慢な物言いをする人々には、北関東在住でどちらかといえば「あっち側」の住人として、憤りを感じています。

 pr3氏は「あっち側」と「こっち側」と二分し、一方からもう一方への差別を許さないと憤っている。このように明瞭に切り分けられ、一方が他方を差別している構図が明瞭なら同調もしよう。しかしその前提として、放射能汚染に境は存在しないのだから、そもそも「あっち」と「こっち」を区別すること自体ナンセンスだ。放射能の性質を考えたとき、実はこのような概念操作は最初から破綻しているのである。
 結局、前便の繰り返しになるが、この問題への対処法として、「あっち」だの「こっち」だのと考えるのは無意味であり、あらゆる人が汚染源から遠く逃れる—これ以外に問題への対処法がないことは明らかだと思う。
 さて、pr3氏の文章の流れに沿って応答すると、私は例示一般を封じようというつもりは全くない。例示自体が悪いわけではない。そうではなく、論ずべきは日進町の花火問題であるにもかかわらず、それを疎かにしたまま「花火職人はどうだ」、「そこで生活している人々のことをどう思うんだ」などと、ルール違反としか言いようのない例示の仕方をしたからこそ、フェアじゃないと指摘したのである。
 産経抄からの引用と言いつつ、この書きぶりからみて「あっち側」「こっち側」の思考にあなたがなじんでいることは疑い得ないと感じる。そもそも、このような区別をすることこそが、人々を分断させる働きだと言うことになぜ気づかないのだろう。本来、悪いのは原発を推進してきた政府と破滅的な状況を作った東電であるにもかかわらず、批判の標的が、本来なら連帯すべき「あちら側」の人々に向けられている状態は、「支配者は分断して統治する」という公式をモロに証明してしまっている。
 ここでいくつか質問させてもらいたいと思う。
 いま、福島のコメの汚染度調査をやっている。私は規制値を下回る米であっても、この数値にどの程度の信頼性があるか分からない、また他の核種の放射線物質の検査も十分とはいえない、との理由から、福島(およびその隣県)の米を食べることを拒否するつもりでいる。私は差別者なのだろうか?
 別の例を出せば、さいたま市で7歳の子をもつ私の友人は思い悩んだ末、子どもの被曝懸念を理由に大阪に移住した。借家になり、経済的な負担も大きく、私は心配でならない。この、放射能を忌避して大阪まで遁走した私の友人は、あなたの基準でいえば、ケガレを忌避してはるか彼方に遁走した点において、許し難い差別者と規定されざるを得ないと思うが、いかがだろうか。
 また、あなた自身は福島の規制値超えの魚介類、農産物を積極的に食べているのだろうか。あなたの論理に従うなら、差別者にならないためには忌避は許されず、積極的に食さねばならないと思うが。
 さらに私の前便の「非国民通信」の「レイシズムに取って代わったものhttp://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/061001b2e5c2aa1676e1ef64bed77cdb」、「東京電力はよくやっているのに http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/0810d124f5307095f22554fac542e8ec
をお読みになって、何を感じるだろうか。同ブログは、荒らしの意図など持ち合わせない私のコメントを封じ、投稿の自由を封殺したまま更新が続けられており、政治的な意図あるいは悪意を勘ぐらざるを得ない状況にある。被曝を回避しようとする人々に対し「非国民通信」は「ヘイトスピーチ」という言葉を投げつけ、一方では東電を擁護している。あなたは「政府・東電への責任追及は別問題」とするが、ここではすんなり地続きなのだ。
 (後段のケガレ問題については、稿を改めます。)