「被曝忌避」を差別問題にしてはならない 単色の直球バカから、tamamusiさんへの返事

 トラックバックのあったtamamusi氏の「自衛とか差別とか、とても難しい問題について(力量不足) http://d.hatena.ne.jp/tamamusi/20110929/1317303604」に返信していたら長くなったので、こちらにも転記することにした

 こんばんは。今あなたのハンドルネームがtamamusi(玉虫)であることに気づきました。私はお分かりのように単色の直球バカです。
 おっしゃるように、あらゆるところに「差別」の根はあります。私はツイッターもやっているのですが、在日朝鮮人の知り合いとやりとりしてたら、突如、凄まじいヘイトスピーチを投げつけてくる輩が山のようにいます。そういう差別には抗議しますが、自分が無謬であるとは思いませんし、私自身、「他者を人間扱いしなかった」、思い出したくない醜い記憶もあります。仰られるとおり、「自分の心の奥底で相手の身に如何になれるか」だと思います。 
 私が今回の議論で言いたいのは、被曝を巡る事象は差別問題ではないし、差別問題にしてはならないということです。
 母親が子どもをつれて西へ逃げたり、できるだけ西日本や輸入の食材を求めようとしたりすることは「被曝を避けて身を守る」という生物として当然の行動であって、それは福島に対する差別とはまったく別のことだ、ということです。端的に言えば、これらの行動は「放射能に対する忌避」であって「福島に対する忌避」ではありません。日進町の花火の件も、神経質な反応であるのかもしれませんが、基本的にはやはり同じことだと考えています。
 さらに踏み込んで言えば、この問題を差別問題の構図に当てはめることを阻止しなければならない、ハンセン氏病差別や在日差別など、抜きがたい偏見で社会構造に組み込まれてしまっている諸々の差別のアナロジーとして、今回の問題をとらえるべきではないということです。
 これは偏見が沈殿し固着化した歴史上の差別問題ではありません。原子力発電所の事故、放射能漏れという人災が原因なのです。やるべきことはすべての人が可能な限り、原発から遠ざかり、汚染物を避けることです。(どうにもならない事情で、福島や近県にとどまらざるを得ない人々も、この点はやはり同様です。)
 基本図を描けば、「福島に近いこっち側」と「福島から離れたあっち側」と分ける線を引くのではなく、福島第一を基点に、西日本へ、北海道方面へ、海外へと「→」が放射状に外に向けて指し示している図だけが似つかわしいと思います。線引きなんかではなく、遠ざかることが一番ということです。
 経済的、政治的に困難なことなのかもしれませんが、理想的な解決とはすべての汚染地域から避難させ、新天地での職住などを東電・政府の責任で保証すること。それで日本政府が破綻するというのであれば、いかなる労苦を払っても全国民で避難者を支えることです。日本社会がビンボーになるのはやむを得ません。
 長くなってすみません。いずれにせよ、西に逃げた母親たちを差別呼ばわりする言論とは闘わなければなりませんし、「あっち側」「こっち側」に分けて差別問題にすり替え、結果として「こっち側」たる福島に住む人々の現状を固定化する理屈にも反論していかなければいけないと思っています。このようなすり替えは、tamamusi さんもご指摘ですが、東電・政府には願ったりかなったりなわけですから。