逃げた中谷、血祭りの竹中

1月29日のJ-CASTニュースによると「かんぽの宿オリックス売却問題 竹中平蔵氏と鳩山総務相が論争」という状況になっているという。そういえば竹中は久米宏の「テレビってやつは」や田原総一郎の番組にも出ていたようだ。ようするに彼は弁明に追われているのである。
 ネットの竹中評もなかなか興味深い。

週刊現代」記事では小泉純一郎竹中平蔵両氏の写真の下に「"いまだ反省の弁もない2人だが、中谷氏の発言をどう受け止めるのか"」という一文がつけられています。
私(喜八)の予想を述べておきますと、小泉・竹中氏は「完全スルー」するでしょうね。
これまでの小泉純一郎竹中平蔵の行動から判断すると、「完全スルー」以外はまったく考えられない。
彼らが「懺悔」したり「反省」したりすることは考えにくい。
まあ、それはそれで構いません(笑)。
今後、追い詰められて、死に物狂いになって、それでもあくまで自己正当化の詭弁を振るう両氏の姿を「高みの見物」したいものであります。(喜八ログ)

誤りに気がついたら改めるのに遅いことはない,というのは古からの真理である.しかし,こうも身変わりが早い(注:中谷を指すby筆者)と,『どちらが自分の得になるか』という基準でのみ動いているとみるのが当然だろう。このような人をありがたがる人間がこれほどまでに多いことに驚くが,まあ,竹中平蔵のとぼけ面よりははるかにマシと言っておこうか.(アルバイシンの丘)

 中谷については「今頃反省しても遅い」とか「反省が足りない。第一線から身を引け」とか「変わり身が早いだけ」とか、どれも一理あるがある中、それでも「懺悔」したことに対して評価する意見が多くを占めている。他方で、このように反省する態度をとっている中谷と引き比べるような形で持ち出されるのが竹中平蔵なのである。
 特に(冒頭の)「かんぽの宿」問題ではついに「「かんぽの宿」、民営化5年後の譲渡は「竹中平蔵氏の指示」」(日経新聞)とまでやられてしまっている。
 国民新党亀井静香日本郵政公社の西川社長を背任で告訴する姿勢さえ示している。竹中も一緒に告訴されるようなことはないと思われるが、これから政治的な致命傷を負う恐れは小さくないというべきだろう。
 ひるがえって考えると、竹中も中谷も実は同じ穴の狢でなのである。「先輩」「後輩」という意味では本来は中谷の方が罪は重いとさえいうべきところだが、すでに懺悔しているので誰も非難しようとはせず、むしろ「立派」とされ言われている。中谷は逃げおせたのだ。竹中は逃げおおせず、いまスケープゴートへの道を突き進まざるを得なくなっている。本当に責められるべき親玉—小泉純一郎はどこかの陰で安閑としているというのにだ。
 このような状況を思う時、中谷がなぜあの本をこの時期に出版したのかということ、そしてそれがベストタイミングであったことは誰の目にも明らかなことだと思う。