どちらにもそれなりの理がある規制緩和派と批判派の言い分

 内橋克人、本山美彦、伊東光晴東谷暁といった規制緩和市場原理主義構造改革論に批判的な著書を読む一方で、岩田規久男、原田泰、竹森俊平、増田悦佐など、いわゆる市場原理主義者ではないが、いわゆる「経済学」にのっとった理論を展開する学者たちの本も読んだが、率直にいってどちらにも首肯できるものがある。
 だが、展開される議論や論争、論争にいたっていない論点について考えるとき、両者には根本的な部分で問題の立て方が異なっていると感じざるを得ない。それは経済政策にどのような姿勢で関わるかという問題だ。つまり専門家として経済問題について語るとき、その社会的影響に左右されることなく、専門知識にのっとって発言すべきなのか、人々の生活に及ぼす影響を顧慮しつつ知見を示すべきなのか、という問題だ。
 私は前者の方が人間として正しいあり方だと感じる反面、ある種の偽善に陥ったり、先の見通しを誤ったりすることがあり得るように思えてならない。ポピュリズムに陥る恐れもあろう。他方、後者はたしかにある種冷酷な書きぶりにならざるを得ないけれども、経済学者としてのあり方としてはこれで構わないのではないかと感じる。前者の役割を果たすべきは本来、政治家やジャーナリストであるはずだからだ。
 本来であれば経済政策というものは政治家がリーダーシップを発揮することによって進められるべきものであるはずなのに日本にそんなものは存在しない。逆に経済学的にみて適切であっても実施に移したら社会的弱者への影響が大きそうな政策であればジャーナリストや労働組合、市民団体が批判、抗議して止めさせなければならないが、日本社会はそうした力が強力とはとても言えない。このため本来やるべきではない経済政策までがたやすく実施に移され、社会に甚大な影響を及ぼしてしまうことが多いのだと思う。
 たとえば中谷巌という人物は1990年代半ばから後半、細川政権、小渕政権下で首相の諮問機関である審議会に委員として参画し、日本社会に一連の規制緩和策を導入、推進することに多大な役割を果たしたが、08年に刊行した「資本主義はなぜ自壊したのか」ではそれらの政策が必ずしも適切でなかったを認め、「懺悔」までしている。しかもさらに過去(1970年代)にさかのぼると、彼がリベラル、左翼的な立場をとる学者だったことも付け加えたい。つまり約30年の間に、時流を見ながら「対局」から「対局」へと2度までも立場を変遷させてきた軽薄な人物だったということだ。そうした人物を政府は日本経済に甚大な影響を及ぼすポストに据えていたということになる。