構造改革をめぐる見取り図

 ここで自らの覚書のために大きい見取り図を記しておく。
官僚の天下り特殊法人の増大、地方への補正予算のばら撒き、業界と行政がグルになった業界保護政策などなどを垣間見ていると、構造改革、規制改革の手は緩めてはならないと考えるが、かといってあらゆる方面にわたって構造改革を実施したり、市場主義を導入するべきであると言い切ってしまうと間違いの元である。
 まず、そのようなことに馴染まない業界がある。
 もう一つは、残念なことだが、構造改革の犠牲が弱者だけにしわ寄せされ、本来正されるべき上層部にまで至らないという現象だ。
 タクシー業界などはその典型というべきだろう。競争により淘汰されるべきも事業者が労働者を犠牲にして生き残る。構造改革によって救われるべき弱者が踏み台にされ、必要な構造改革が達成できないのだ。
 市場の働きを当然のことととして認め、行うべき構造改革の必要性を確認しつつ、同時にセーフティネットと機会の平等を保証する最新の目配りを欠かさない制度の構築が求められている。あれかこれか、ではなく、あれもこれも、が求められている。
 だからこそ、その時々の局面や対応する部面(門)によって、どちらを重視するか強弱を決めることがきわめて重要になるということだ。
 ただ日本の場合、米国の影響もあって、競争力を欠いた談合的体質の組織や人間関係が林立する状況から、規制改革や構造改革運動により脱却を急いだあまり、急激に人々の間で格差が開き、前もっての準備もないから個々が一気に貧窮化するケースが相次いだ。
 民主党の勝利はそれを何とかしてもらいたいという国民の期待の現れが非常に大きいように感じられる。その意味ではとりあえず社民党と連立政権を組むのは適切な戦略なのだろう。
 下線部についていうなら、「構造改革」「規制改革」などよりも当面の間、「セーフティネット構築」といった貧困対策が中心にならざるを得ないだろう。もちろん、それだけではそのうちに飽きられる、いずれまた方向性を見定めなければならない時がやってくるという気がする。

 さらにもう一つ注意すべきことがある。
 市場の働きを認めつつ、そこに手厚いセーフティネットを張るというやり方(まだ良く分かっていないのでこう書くしかないが)が、「第3の道」—「第1の道」「第2の道」」と質的に異なるという意味での—と呼べるのかということだ。
 実はいかに手直しをしようと市場主義の1変種に過ぎない—修正市場主義—に過ぎないのではないかという疑念は去らない。
 くだけた言い方をするなら、市場は当然、勝者と敗者、金持ちと貧乏を作り出す。このような決定的な差別化をする力そのものが市場を活発に動かす源なのだ。だが、そのままでは敗者と貧者のルサンチマンが爆発するかもしれないし、貧者がより悲惨な境遇に陥れば無力化し、社会を機能させる妨げになったり、救済のために莫大なコストがかかることになる恐れがある。だとすれば、そうなる前にセーフティーネットを張って救っておかねばならない—というのが「あれもこれも路線」の行き方だ。
 これはあらためて考えてみると、勝者と金持ちの側から見た方法でしかない。これで運良く敗者と貧者をなだめることはできるのだろうか。そのようにできれば福祉路線、社会民主党路線の勝利だ。
 だがこの道は敗北するかもしれない。その時は・・・ここには経済政策の次元を超えたイデオロギーの問題が露呈する契機がある。
(注:競争社会で劣位に回り、時間当たりの賃金が少ない仕事[土方とかタクシー乗務員、ウエイトレス、レジ打ちなど]についたとして、動けないくらい身体を酷使させられて得られた賃金が、優位な仕事の半分だったとき、当然のごとく「劣位にあるのだから仕方ない」と納得するものだろうか。納得できるものなのだろうか。世間知としては理解しても(理解させられていても)疲労した心と身体は決して理解しないのではないか。そこに現代社会のありようを否定する考え —反市場主義、反資本主義さらには社会主義共産主義の考え方が頭をもたげざるを得ないだろう。)
 見えにくいが、実のところは「第3の道」をめぐって水面下でイデオロギー対立のせめぎあいが続いていることを忘れてはならない。