社会を見る目を根底からくつがえす山本穣司「累犯障害者」

 山本穣司の「累犯障害者」を読むと、重度ではない障害者が福祉の範ちゅうに入ることができず、どこからもサポートされることなく犯罪を犯し、障害者年金を組織的に巻き上げられ、聾唖者がより弱い聾唖者から搾取し、出所しても、犯罪を犯したせいで親族縁者から見放され行政からも見放されて路上で死んだりヤクザの傘下に入れられ再犯して刑務所に戻る—こういった現実にめまいにさえ見舞われる。
 特にレッサーパンダ帽男の話は彼の家族も含めて福祉の手が一切届いていなかったばかりに起きた犯罪であり、福祉の貧困を表面化させた事件だったことが分かる。
 それはおそらく「東金事件」も同じだろう。
 もしかしたら最近起きた少なからぬ凶悪事件の犯人とされた人たちの中にも同類の人がかなりいたのではないかと思う。(それにつけても腹立たしいのは自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 文庫 佐藤幹夫だ。著者は当人が障害ゆえに罪の意識を持たないことへの苛立ちを強めていくのだが、(たしか)広汎性発達障害なのだから、そんなこと当然ではないだろうか。そこにそのようなトリビアな怒りを集中させることよって、この事件を取り巻くより大きな枠組みを示さないどころか、隠しさえする役割を果たしている。そうではなく、これは日本社会の恐るべき福祉の貧困(重度以外の)問題である。
 このような視点から見たとき(「累犯障害者後書き」によると、1千万人近くそのような人々がいるとされている)今の日本社会のありようは根底から変えなければならないことに気づかされる。大方の一般人にそのような認識はまったくといっていいほどない。この社会は革命的な認識の転換が求められている。

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 (朝日文庫)

自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 (朝日文庫)