なるほどその通りかもしれないけれどもー「はだかの王様」の経済学(東洋経済新報社)

 書名から内容を想像するのは難しかったが、つまりマルクス主義疎外論について語った書物だった。
 著者は、王様が裸であることに気づいていながら、そのことを指摘しない(できない)で「裸」状態が延々と続くという「疎外」の状態を示し、「裸の王様」である権力が暴走してきた歴史ーソ連スターリン時代の粛清や中国の文化大革命カンボジアポルポト政権の大虐殺ーなどを例にあげ、さらに日本の連合赤軍事件やオウム真理教事件も例示して、「観念の怪物」の独り歩きがいやになるほど続いてきたのが人類の歴史だったと説く。
 そのように示したうえで、フォイエルバッハの「神」という観念が創出される疎外論、商品交換が疎外された結果としての貨幣の誕生や、貨幣が単なる金属加工物であるにもかかわらず無限の力を感じさせられてしまう物神性という疎外の形態について論じ、マルクス疎外論を使えば読解しやすいことを示していく。
 こうした内容は、かつてある市民団体で活動し、理念最優先で人を攻撃し傷つけたことのある私にとっては身につまされるものがあった。
 近代経済学の先端理論の一つであるゲーム理論で「均衡」とそれが崩れて別の「均衡」へと移っていく過程を論ずることによって、下部構造が少しづつ変化し、最後に「革命」がもたらされてきた人類の歴史(マルクス史観といってよいのだろうか)との共通性が示される部分も興味深い。
 著者は、依存関係にあるにもかかわらず互いがバラバラな状態にある時、疎外が生じ観念の暴走に人が引き回されるという従来の人類の失敗も省みて、強引な革命による権力奪取、その権力からの統治という行き方には慎重な姿勢をとる。そのうえで示すのは、「今はそのような機が熟していないのだから、自らのNPOなどの市民活動に勤しむべき、それがいつかの未来の来るべき革命につながる」という結論である。そしてこう書いている。
 「下から少しずつ少しずつ、次の段階のよりよい経済システムに進化していくことが期待できる時代になったのだと思っています。」
 たしかにマルクス経済学の歴史観を冷静に検証するならこのような結論が導き出されるのかもしれない。「方法論的個人主義」に立脚している近代経済学の新理論であるゲーム理論が、実は体制批判的な方法論を内包していることも、「左であれ右であれ目指すところは同じ」という思いを強くさせる。
 だが、著者の言うとおり「独立した諸個人がしっかりした展望をもって市民活動に取り組むことが、いずれ現下の資本主義社会を変革する『革命』を導き出す」というのは、たしかにそうした活動をしたり、これからしようと考えている者にとっては福音かもしれないが、そのような余裕のない貧困層にしてみれば「それがどうしたの」とならざるを得ないのではないだろうか。
 ここには「疎外」をどう定義するかという問題があると思われる。著者は「依存関係+バラバラ=疎外」と定義づけているけれども、実は諸個人が味わう「疎外」はさまざまであり、それこそ「階級」によって、感じる重苦しさは大きく異なるはずだ。「疎外」のそうした側面がすっきりと捨象されているのが私には物足りなく思えた。
 それゆえ同書では、革命に向かう課程で「疎外」を克服していく「人類の成長」という側面はほとんど描かれない。古代から中世、近世、近代と向かうなか、人間の本質はどこまで行っても同じであるという確固とした人間観が著者にはあるように思われる(まだ確信をもっては言えないが、著者の言うアソシエーション理論もまた方法論的個人主義に立脚しているのではないか。)「人類の成長」とか「ビジョンの進化」とかいったことが「疎外の克服」や「革命」ととどう関わると著者は考えているのか、この際聞いてみたい気がする。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

「はだかの王様」の経済学

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