すべて嘘っぱち−普天間基地問題めぐる言説の数々

 鳩山首相が辞任した。
 マスメディアは、特にその辞任の引き金となった社民党の連立離脱の原因たる「普天間基地移転問題」をめぐる鳩山氏の対応に対し、批判、怒り、嘲弄、罵倒を投げかける。だとすると、さぞかしその内容も百花斉放かと思うが、論旨は意外なまでに似通っている。曰く「鳩山は安易に普天間基地の県外移設を口にし、沖縄県民に在らぬ希望を抱かせ、基地問題を複雑化させ、日米安保を揺るがせた」というものだ。
 愛読してきた極東ブログなぞは「怒り」を通り越して「あきれ」モードに入っている。もともとこの人の文章は端的に断定するということがなく、ああだこうだと続き、読み終わってから何となく言いたいことが分かるパターンが多いので、沖縄基地問題に対する真意もわかりにくいのだが、「2010.03.26普天間飛行場撤廃失敗の背景にあるもの」は比較的分かりやすいかもしれない。

民主党の場合は辺野古に恒久基地は作らないとも言えるのだが、反面、民主党政権が続けば、現普天間飛行場が事実上恒久米軍基地となるである。」
(中略)「つまり、普天間飛行場民主党政権下で撤廃されないということだ。民主党政権のおかげで危険な米軍基地が市街地に残るのである。」
 もちろんこれが書かれたあとも、事態は変化しているので上記の通りではないのだが、氏の普天間移設への思いはよく分かる。この問題に対する氏の怒り、もどかしさに嘘はないのだろう。だが、だとすれば普天間のかわりはどうするべきか、どこに移すべきなのか。
 氏が鳩山氏を痛撃すればするほど、「ではあなたはこの問題をどう解決すべきだと思う?普天間の移設先はどこなのだ?」と聞きたい衝動にかられる。マスメディアも極東ブログ氏もこの問題にはおそらく答えることはできない。できないからこそ、解決不能な問題をいやおうなくクローズアップする機能を果たしてしまった鳩山氏をことさらに憎悪し、攻撃するのではないか。代償行為というやつだ。
 ではおまえの答えは何か、と聞かれたら「普天間は移設ではなく、ただ撤去するしかない。かりに撤去でなく移転でなければならないというのなら国外以外にあり得ない」と答える。そうすると「お前は安全保障の常識がわかっていない」と論難されるだろうが、論理的に考えるなら、こう帰着するほかない。
 鳩山がぶれたからこそ基地問題が混乱したのではない。そこに住む人々が反対してきたがゆえに、もともと揺れに揺れている問題なのだ。しかも今年1月の市長選挙でも受け入れ反対派の稲嶺進氏が当選し、民意は明瞭に示されてしまっている。にもかかわらず、米軍基地を目にすることもない「本土」の生活を生きる誰が名護市民に相対して「名護市民よ、面倒なことは言わず、基地を受け入れよ」と言えるのか。
 このように沖縄に基地があることが自明の理であるかのように思考する大多数の日本人(8年間沖縄に暮らしたという極東ブログ氏もその中に入ると私は考える)のありようを、野村浩也は「無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人」(お茶の水書房、2005年刊)で爽快なまでに、そして完膚なきまでにたたきつぶしている。
 そんな人知らない?ではもう少しメジャーな人を。芥川賞受賞作家・目取間俊。

「沖縄に同情したり、関心を持ったり、連帯しにこなくていいから、基地を持っていけよ。十年前ならめったに言われなかったことが、苛立ちを込めて言われる。『本土』の人間の無関心に応じて沖縄人も変わってきていると思います」(「沖縄『戦後』ゼロ年」目取間俊、生活人新書、2005年刊 178ページ)
「日本安保体制の負担を沖縄に押しつけ、軍事演習や米兵による事件・事故に沖縄住民が苦しんでも、日本政府はそれを根本的に変えようとはしない。その政府を選択しているのは日本人である。日本の安全のために沖縄に基地があることは仕方がない。日本人の圧倒的多数はそう考え、沖縄への差別を行い続けている」(同188ページ)

 辺野古で座り込みをしている人(だったと思う)が「沖縄差別だ」と叫んだことが朝日新聞に記されていた。この「差別」とは誰の誰にたいする差別なのか?言うまでもなく日本政府の沖縄に対する差別だ。そのような日本政府に日本人が異を唱えないとしたら、論理的にはこれは「日本人の沖縄人への差別」ということになる。そう、沖縄の米軍基地の問題の本質は、軍事がどうの平和がどうの、と言う前に差別問題だったのである。
 これは皮肉でも何でもないのだが、極東ブログ氏には目取間俊を読んだうえで改めて沖縄の米軍基地問題を論じてもらいたいと思う。
 

無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人

無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人

沖縄「戦後」ゼロ年 (生活人新書)

沖縄「戦後」ゼロ年 (生活人新書)