放射能を忌避し、被曝を恐れることに誰が「差別」のレッテルを張るのか

 「黙然日記」というブログに「産経抄原発神話観。」という文章が掲載された。http://d.hatena.ne.jp/pr3/20110922。愛知県日進町で福島からの花火の打ち上げを市民の抗議により中止した件について、「≪こっち側≫と≪あっち側≫を区別する、あえて言えば差別の構造がそこにはある」と書いてあった。
 私も産経をバカにすることにおいては人後に落ちないつもりであるが、見過ごせない内容だったので、次のようなコメントを送った。
 「≪こっち側≫と≪あっち側≫を区別する、あえて言えば差別の構造」とお書きですが、「被曝を恐れること」と「差別」は全然違うと思います。日進町の花火の件も、汚染度調査などやっていなかったと思います。そのことを理由に懸念を示すのは何ら卑劣なことではありません。「差別」とのレッテル張りは政府・東電への責任追及の手を緩めさせるとともに、結果として推進派を喜ばせることになるでしょう。」2011/09/24 12:43
 すると、黙然日記」管理人氏から、以下の返事があった。
「 削除なさっていますが(注:削除はしていない。管理人氏の勘違い)、返答いたします。書いてしまったからということもありますが、重要だと思うので。
 差別論に踏み込むと長くなるのですが、今回の件ではたとえば、福島から転入した子供に「放射能がうつる」などと明白な差別が行われた例があるわけです。その根底にあるのが≪こっち側≫と≪あっち側≫の発想ではないか、ということです。
 花火によって拡散する放射性物質が限度を超えているなら、その花火を製造している職人の健康・生命はどうなるのでしょうか。まったく無関知でしょうか。それこそが≪あっち側≫の発想でしょう。一瞬の花火でさえ問題になるレベルの汚染があるなら、そこに住んで働く人々を今すぐ助けなければならないというのが、正常な人間の思考ではないでしょうか。
 これは、東電・政府の責任を追及することはまったく別だと考えます。」
 私はこれを読んで、少しでも被曝の危険を減らそうと努める人々に対し、差別というレッテルを張る管理人氏の発想は問題だと感じ、次のような長いコメントを先ほど送った。
 「私は前便で、あなたが日進町の花火中止の件で「≪こっち側≫と≪あっち側≫を区別する、あえて言えば差別の構造」と指摘されたのに対し、「被曝を恐れること」と「差別」は全然違う、と反論しました。
 まず、お書きになっている「福島から転入した子供への差別の件」については、私は一切触れていません。私は、あなたが提起した日進町の花火についてコメントしているのです。あなたがここで、あえてわざわざこの議論の中に存在していない例を持ち出す真意を測りかねます。
 その件についてあえて言うならば、その子の衣服、持ち物の汚染度の検査をし、安全性の確認はする必要があると思いますが、そうしたことをした上でその子を忌避するなら、それは「差別」ですから絶対に容認してはなりません。
 なぜ、あなたはわざわざ「あっち側とこっち側」という概念を立てて、被曝を懸念する側を「あっち側にいるから差別」と認定しようとするのでしょうか。被曝の懸念から役所に花火を中止するように訴えた行為自体、当然のことであり、これ自体に何ら差別性はありませんよ。あなたの幻想です。
 被曝の問題には「あっち側」も「こっち側」もなく、すべての人があらゆる努力で被曝を避けなければならないと思います。原則はそれしかありません。 
 「花火を製造している職人の健康・生命」についても同様です。これも、ここで論点となっていない存在を唐突に持ち出してきて、「あなたはどう思うのだ」と問うのはフェアではありませんし、しかも「それこそが≪あっち側≫の発想でしょう」などと糾弾するのは言語道断な論法です。
 これについてもコメントする必要を感じませんが、あえて言うなら、放射性物質が限度を超えている、あるいは超える恐れがあるのなら、その花火職人は作業をやめなければなりません。その作業でかりに健康被害が生じたならば、政府なり自治体になりに補償させなければなりません。(もちろん休業補償も)。
 「そこに住んで働く人々」も同様に、危険なレベルの汚染があるなら、避難しなければならないのは当然のことです。日進町の市民も私も、誰も放置してよいなどとは言っていません。「正常な人間の思考ではないでしょうか」とは、一体どこの誰に、何を根拠に投げつけた糾弾でしょうか。
 「東電・政府の責任追及とは別」と書かれていますが、被曝を恐れ、忌避せねばならない、従来とは打って変わった生活への怒りがあるからこそ、われわれはその原因を作った政府・東電の責任を追及しているのではありませんか。あなたのように「こっち側」だの「あっち側」だのと差別のレッテルを張る言動は、人々の原発への当然の怒りを、差別というレッテルで掣肘していると言わざるを得ず、結果として人々の責任追及の力を抑え込む議論だと言わざるを得ません。
 なお、私もブログを持っています。あなたのおっしゃる通り重要な議論だと思いますので、やりとりを転載させていただきます。」2011/09/25 21:28
 放射能汚染を忌避し、可能な限り被曝を避けることは、人間として当然のことである。そのことを「福島に対する差別」だと難じる議論がここにきて増えつつあるように思える。たとえば、「非国民通信」というブログの「レイシズムに取って代わったもの」http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/061001b2e5c2aa1676e1ef64bed77cdbは、日進町の花火打ち上げに抗議する人々の言動を、何とヘイトスピーチ扱いしているのである。そのことから分かるように、この題名は、「放射能忌避」という福島への差別が、従来のレイシズムにとって代わった言わんとしているのだ。
 まさに「黙然日記」などはるかに上回る支離滅裂ぶりだが、「非国民通信」がさらに問題なのは、別稿であからさまに東京電力を擁護していることだ。
東京電力はよくやっているのに http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/0810d124f5307095f22554fac542e8ec
 これを読むと、このブログの背後にも目を凝らさねばならないのではないかと思えてくる。
 福島第一原発放射能汚染問題は熾烈なイデオロギー操作の段階に入った。何が差別かを見極める思考力が不可欠になっている。


 

次に核汚染されるのはロンドン、ニューヨークかもしれない—原発?いや、「ダーティボム」の炸裂で

 今日ツイッターで連続投稿した内容を整理して書いておこう。
 パキスタンのことだ。
 朝日新聞9/10付に掲載されたノーム・チョムスキーのエッセイ「9.11後の戦争 パキスタンの怒りに危機感」において、パキスタン研究の代表的な専門家アナトール・リーベン氏の文章が引用されている。それは次の来るべき破局を暗示している。

 「・・・アフガニスタンの戦争はパキスタンを揺るがし、過激にし、米国、そして世界にとっての地政学的な惨事を招く危険を冒している。・・・パキスタン人は社会のあらゆるレベルで、アフガニスタンタリバーンに驚くほど共鳴している。パキスタンの軍事指導者たちもこうした感情を共有する。・・・軍部は安定した組織であり、国を団結させている。・・・米国の行動は軍の一部の反抗を招く可能性があり、その場合、パキスタン国家はまたたく間に崩壊し、これに伴ってあらゆる災難が発生するだろう。・・・起こり得る災難を著しく悪化させるのは、パキスタンの大規模で急速に拡大しつつある核兵器保有量や、同国におけるジハード戦士の活発な活動だ。・・・背後に潜んでいる災難は、これら二つが組み合わさり、核分裂性物質がジハード戦士の手に流れるかもしれないことだ。・・・そして、核兵器、それもおそらくは核汚染を引き起こす『ダーティボム(汚れた爆弾)』が、ロンドンやニューヨークで爆発するのを目にすることになるかもしれない」。

 気になるのは、パキスタンがインドとのカシミール戦争、同胞であるパシュトゥーン人タリバン」と米国の戦争、インドとの核ミサイル開発競争・・・と、延々と戦争を続けている戦時国家であるということだ。
 10年ほど前にカラチに行ったことがある。その日は何かの記念日だったらしく、テレビでは延々と戦死者、武勲者への称揚番組が流れていた。私はこの時、「ヤスクニ」という言葉を連想した。
 外に出ると公園で男たちが大勢集まり、ハリボテのミサイルを背負って大騒ぎしていた。パキスタン人の友人の家に行くと親戚の赤ん坊がいて、友人は「この子の名前は『オサマ」というんだ」と言ってニヤニヤしていたっけ。友人は温厚なインテリで、好戦的というにはほど遠い人物なのである。
 インドからの圧迫、上向くことのない経済、軍部中心の国家運営、インドからの独立という、国の成り立ちからして、イスラムアイデンティティにしがみつかざるを得ない現実、同胞の国というべきアフガニスタンに対する米国始め先進諸国の蹂躙、それによるパキスタンの疲弊、治安の恐るべき悪化、テロの頻発・・・。
 滞在したことがあるだけに、チョムスキーの危機感は決して大げさではないと感じる。テロの頻発をまったく抑えることができていないということは、文民統制は何ら機能しておらず、軍政に依存せざるを得ない状況にあることを意味する。 
 パキスタンは言うまでもなく核保有国である。チョムスキー(正確にはアナトール・リーベン氏)が描いて見せた、パキスタン核分裂物質がジハード戦士に渡り、ロンドンやニューヨークで炸裂するという地獄図は、フクイチで核の平和利用が不可能であることを証明してしまった今、次に迎えるかもしれないおぞましい未来図として、息の詰まるようなリアリティを持って迫ってくるように私には思える。
 核が「平和利用」であれ、「兵器として」であれ、「欲」と「好戦性」を制御できない人類には使いこなせない代物であることがもはや疑い得なくなったということなのだろう。
 ご参考:以下はアルカイダタリバンが出現する前に、アメリカが何をやったかということが分かる、目まいのするような本。

非聖戦―CIAに育てられた反ソ連ゲリラはいかにしてアメリカに牙をむいたか

非聖戦―CIAに育てられた反ソ連ゲリラはいかにしてアメリカに牙をむいたか

ブログ「Verda Majo—緑の五月通信」再開

 ツイッターばかりやっている間、ブログは不要と思っていたが、だんだん長いものを書きたくなってきた。
 ツイッターって、好みのアカウントばかり集めてタイムライン(TL)を構成するため、やりとりしているうちに極端に流れ、独善に陥ることが少なくないのではないか?
 しかも基本的に匿名ok だし、流言飛語を流して攪乱しようと思えばいくらでも攪乱できるメディアなわけで。
 もちろん、東日本大震災、フクイチとうち続いた緊急事態に無類の力を発揮したことは間違いないし、これからもまた、一人が発したツイートが巨大な力となって立ち上がるのを目撃するだろうことも疑っていない。
 
 ブログの題名「ぐるぐる時評」を「Verda Majo—緑の五月通信」に改めた。なぜあのような名を付けたのか忘れてしまったので(おおかた酩酊していたのだろう)。
 「Verda Majo」はエスペラントで「緑の五月」。知る人ぞ知るだか、それ以上にこの言葉の響きが気に入っている。そして五月は私の誕生月でもある。

「12.4 黒い彗星★国際連帯声明」と私

 ご存じの方もいるとは思うが、昨年12月4日、渋谷の排外組織の民族差別デモに非暴力で単身抗議し、集団リンチを受け、不当にも警察に逮捕(のち釈放、加害者は放免)された「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)氏の支援組織「黒い彗星★救援会」が声明を発表したので転載する。

私たち「12.4黒い彗星★救援会」は、2010年12月4日、渋谷駅近くの路上で起こった事件について、世界中の差別と闘う人々に訴えます。
 日本人レイシストによる民族差別デモに単身抗議した「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)は、レイシストたちに集団暴行を受け、全治3週間の大けがを負いました。にもかかわらず、警察は、暴行の加害者を放免し、暴行の被害者であるかれを「暴行容疑」で逮捕したのです。
 かれは、横断幕を掲げるという非暴力抗議行動をしただけにすぎません(現場映像は以下)。いえ、横断幕には、重大なメッセージが含まれていました。
 http://www.youtube.com/watch?v=qvdXPdxFjt8
 かれは暴力をふるってなどいません。むしろレイシストたちが一斉にかれに襲いかかり、集団で殴る蹴るの暴行を加えたのです。多くの警察官がそれを見ていました。にもかかわらず、渋谷署はかれを逮捕し、指紋を採取し、必要な医療措置を受けさせませんでした。その上、暴行加害者を充分に調べることなく帰宅させました。
 幸い、かれは約50時間の留置のあと釈放されました。しかし、今回の事件は、日本社会と日本行政の腐敗・堕落を明らかにしました。現在の日本では、人間を不当に貶める差別表現が容認され、さらには、差別する者たちのおぞましい集団的暴力が容認されてしまっているのです。
 かれは、横断幕に次のようなメッセージを記しました。
 「対話に来ました
  民族教育の権利を守るぞ!!
  阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!
  祖国統一! 우리는하나 ANTIFA黒い彗星☆」
http://f.hatena.ne.jp/free_antifa/20101210220729
 黒い彗星は、日本に生まれ、13才まで大韓民国で育ち、それ以降ふたたび日本で暮らしてきました。その日本は、かつて朝鮮半島大韓帝国)を侵略/植民地化し、同化教育を強制しました。名前を奪い、言葉を奪いました。1945年の第二次世界大戦での敗戦後も、日本国内の朝鮮人・韓国人や他の外国人たちが有する民族教育の正当な権利を侵害してきました。そうした抑圧に対する抵抗の象徴の一つが、1948年朝鮮学校閉鎖令への反対運動である「阪神教育闘争」です。
 しかし日本政府は、そうした負の歴史を反省し清算するどころか、朝鮮半島分断に加担し続けています。朝鮮戦争アメリカ合衆国側として参加。現在にいたっても、アメリカ同盟国として、朝鮮半島の平和に軍事的脅威を与えています。その中でさらなる差別として、2010年には、「高校無償化」政策から朝鮮学校を排除しました。それは、朝鮮民主主義人民共和国への不当な制裁政治の一環として実行されました。同時に、継続する植民地主義在日朝鮮人弾圧であり、決して許されてはならないものです。
 かれは、これまでもずっと、こうした差別に反対してきました。朝鮮人差別のみならず、日本に暮らすすべての外国人への差別に反対してきました。地道に署名活動をし、平和的なデモに参加し、時には自ら組織し、インターネット上で排外主義に反対するネットワークづくりを行なっています。かれの支持者には同胞、そして排外主義に反対する日本人、なかには右派ナショナリストもいます。排外主義に反対する一翼をかれは担い続けてきたのです。12.4の非暴力直接行動は、突発的な思いつきでも気まぐれでもなく、反排外主義や朝鮮学校に対する差別に対抗する地道な運動への参加(コミットメント)という文脈に位置づけられなければなりません。
 今回、かれが単身抗議したレイシストのデモは、ちょうど1年前の2010年12月4日に、京都朝鮮第一初級学校におしかけ、子どもたちに「(共和国の)スパイの子」「日本から出ていけ」と罵声を浴びせるという悪質な差別事件を起こした団体とそのシンパによるものでした。そのレイシストたちに抗議し袋だたきにされたかれを、警察は不当にも逮捕し、東京地検は起訴はしなかったものの、曖昧な処分をくだしました。つまり、決定にあたり、日本の法制度によれば当然なされてしかるべき「嫌疑なし」という説明をしないことを選んだのです。
 私たちはこうした現実に失望するとともに、大きな危機感を抱いています。私たちは、決してかれを孤立させてはなりません。この事件によって、コリアの一員であり世界の一員であるとともに日本社会の一員であるかれが、社会的・経済的・政治的不利益を被ることがあってはなりません。
私たちはかれの友人として、かれの同志として、不当な差別と暴力を許さない、けっして容認しないという決意をあらたにし、世界中の反排外、民族差別反対を担う人々にこの問題を訴えます。私は、黒い彗星に連帯します。私たちは、黒い彗星に連帯します。私は黒い彗星です。黒い彗星への日本社会における社会的制裁は、釈放後も継続しています。これは不当なことです。もし黒い彗星への攻撃がこれからも続くのであれば、どうか、私を宛先に加えてください。
何度でもくりかえし訴えます。
私たちは絶対に差別を許さない。
私たちの闘いは、これからだ。
2011年1月9日

署名:「12.4 黒い彗星★救援会」「新たに署名してくださる人々のための余白」


追記 この声明への連帯表明を全人民に呼びかけます。拡散、翻訳を歓迎します。ガザで、ピョンヤンで、カイロで、ニューデリーで、チアパスで、京都で、サンフランシスコで、済州島で、ブザンソンで、シベリアで、ハバナで、鶴橋で、エルサレムで、香港で、ケープタウンで、ベルリンで、ビエンチャンで、バスクで、ソウルで、ヤウンデで、テヘランで、サンフランシスコで、アクラで、アテネで、北京で、リュブリャナで、広島で、その他のあらゆる場所で話題となることを希望します。また、世界史における出来事として「渋谷12.4」を記憶することを呼びかけます。<<

 
 さらに救援会はイベントの告知も行っている。

  「12.4 黒い彗星★救援会」 報告集会 ANTIFA LA COMETA NEGRA
    日時☆2011年1月23日(sun)18:00〜20:30 参加費無料
    会場☆渋谷区神宮前隠田区民会館 http://www.ieepa.com/onden.htm
主催☆12.4黒い彗星★救援会 schwarzerkomet<@>gmail.com ※< > 外してください
2010年12月4日渋谷109前にて排外主義デモに非暴力で単身抗議した「黒い彗星」。西村修平レイシスト集団にフルボッコされた上に渋谷署は「黒い彗星」を不当逮捕(怒)。異例の早期釈放・不起訴をかちとったものの「黒い彗星」への人権侵害、誹謗中傷はいまも続いています。12.4黒い彗星救援会は「黒い彗星」こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)を断固支持します。排外主義が勢いを増す日本社会の縮図といえる本事件を改めて検証し「黒い彗星」の完全無罪を訴えます。


 この件については、少し遡るが昨年末、激励メッセージの募集があったので、次のようなメッセージを送った。

 米国への従属を変えることができないまま、外に向けては朝鮮への憎悪と米国の尻馬に乗った侵略戦争開始の待望、内に向けては在特会など本来、存在そのものが許されてはならない差別集団による嫌がらせ、示威活動、朝校への露骨な圧迫、ヘイトスピーチと言っても過言ではないパチンコ業界叩きー等々の悪夢のような流れに勇敢な一撃を加えたのが、黒い彗星氏の行動でした。
 本来、日本人自身の手で解決していかなければならない問題なのに放置してきたことを申し訳なく思うとともに、勇気をふるってできることをやっていかなければならないと思います。
 危機こそ、自らを鍛え、本来出会うべき人たちが出会う好機なのだと信じたい気持ちです。

 
 うーん、いま読み返すと、大袈裟で力みかえっていて「一体おまえは何様なんだ」と思わないでもないが、「日本人自身の手で解決していかなければならない問題」という認識は間違っていないと考えている。
 マルコムXがかつて黒人差別問題を徹頭徹尾、支配層の白人の問題だと言い続けたように、沖縄の基地問題について目取間俊や知念ウシが「沖縄に理解を示したり、同情したり、連帯しに来てくれなくていいから、本土に基地を持って帰ってくれ」と言うのと同様に、在日韓国・朝鮮人への差別問題は日本人が取り組まなければ解消し得ない問題だ。なぜなら差別は「する側」の意識—偏見の問題だから。当たり前のことのように思えるが、このことは自分のためにあらためて確認しておきたい。それほどまでにこの社会のありようがグロテスクなものになりつつあると感じるからだ。
 この、差別集団に非暴力で抗議した在日の若者がリンチを受けたうえに逮捕され、リンチした方が放免された事件も、外交問題と関係づけて論じてはならないはずの朝鮮学校無償化手続が凍結された件も、昨年暮れ、朝鮮領土の至近距離で行っていた韓国の軍事訓練の問題は問われず、ひたすら「北朝鮮の挑発」だけが喧伝された件もそう。
 さらに想像を広げるならば、私が通勤に使っている朝の東海道線の満員の殺伐とした雰囲気も、昨年のマイベスト映画の一本「サイタマノラッパー」で繰り広げられた主人公たちの閉塞した貧しい日常も、このブログを時々訪ねてくれる方が携わる若年路上生活者の窮状も・・・私も含め、皆グロテスクな日常を浮いたり沈んだり、アップアップしながら暮らしているように見える。それらの光景は、この12月4日の事件の異様さとひとつながりの現実だと言えば観念的過ぎるだろうか。
 この手のことはマイノリティ過ぎて何も変えることができず無駄?そうかもしれない。何も変えられないとしたら空しい。しかしだとしても、何をどのように認識し、表明するかは誰の人生にとっても大切なことなのではないか。少なくとも私には多大な関心事だ。それにブログもあればツイッターもある。普通の人々の認識と表明がこれほどまでに重視される時代はかつてなかったはずだ。

もはや「つぶやき」ではなく—在日の人々の嘆きが聞こえる

 私が本格的にツイッターを始めたのは昨年12月始めのこと。どなたかが国際問題評論家の孫崎享氏のツイートを紹介、それがめっぽう面白く、ぜひリアルタイムで読みたいと思ったのがきっかけだ。
 ちょうど、韓国軍の至近距離の軍事訓練に対して朝鮮が砲撃、民間人の死者が出て、日本のマスメディアがその経緯をふまえることなく、朝鮮批判を繰り出していた折だったので、自己紹介の欄には「日本が中国や朝鮮へ敵対的になるとともに、国内では在日韓国・朝鮮人らマイノリティへの排除の姿勢を強めることを懸念する一市民」と記した。 
 使い方もよく分からないうちに、先頃、渋谷での在特会ら差別集団に対し、ひとりで非暴力的表現で立ち向かった「黒い彗星」氏がツイートしているかもしれないと検索しているうちに、少なからぬ在日韓国・朝鮮人がツイートしていることを知った。
 ツイッターは生々しいメディアだと思う。それはリアルタイムだから、というだけではなく、そのとき感じたこと、考えたことを深く考えないで「つぶやく」べきツールであるため、その「つぶやき」に初発の感情が残留しているように読めるからだ。
 最初に目を止めて何度も読み返したのはmmunsung69氏の次のツイート。
 「日本が好きで、永住する在日コリアン達。しかし檻の中のような社会でどのように自由と公平を勝ち取れるのか?おとなしく生きて行かねばならないのか?この息苦しさを打破する方策は無いのか?むなしい」(12月16日)。
 映画「シュリ」、冬ソナブーム、韓国アイドルグループの追っかけ、新大久保の豚カルビ料理店に列をなす若い女性たち—など、一大ブームとなった韓国芸能文化、食文化への一方的なあこがれの表出は、在日(特に在日朝鮮人)の問題や南北対立という過酷な歴史への理解を深めることにはほとんどつながらなかったようだ。あるいは、ブームはすべて韓国に関するものであり、「韓国はOKだが、北朝鮮(朝鮮)はダメ」という一線もあらかじめ引かれていたのかもしれない。
 その後、私が菅政権への不支持を決めた「朝鮮高校に対する高校無償化制度適用を留保」の一件に続き、これに呼応するとしたら不気味としか言いようのない脅迫状がマスコミに送られる。
 minsu615氏は23日、「 @h_hyonee: RT @han_org: このタチの悪い妖怪を呼び込んだのは、いったい誰だ?/赤報隊名乗る脅迫文が報道各社に 子どもへのテロ予告『全国朝鮮人学校生徒 駆除実施』」に対して、こう呟いた。「怒りと同時に、子を持つ親として震え上がります。」。 
 そして追い打ちをかけるように「東京都が朝鮮学校への補助金支出を中止へ 全国初 」。報じたのはMSN産経ニュース(「全国初」と嬉しげなのが産経クォリティの馬脚)。これに対して在日の方々が投稿したはもはや「つぶやき」ではなく、「うめき」であり「嘆き」と言えた。
 paktong222氏「クソ石原がしでかしました。皆さん立ち上がりましょう。」
 kayagum1959氏「日本は朝鮮に対する過去の借金(植民地支配)も返していないのに、
 1945年以降も朝鮮と朝鮮人に対する借金(弾圧)を増やし続けている。何があろうと
 絶対に耳をそろえて返してもらう。」
 minsu615 氏「反日と言う言葉…使いたくないな。『日』という言葉に『日本人すべ
 て』が含まれているように聞こえるから。そうじゃなくて。ここでの『日』は日本の政
 府だ。平和や平等を願わない人がいるのか?ただ…このままじゃあ在日コリアンはます
 ます生きにくくなりそうだ。」
 一方、3人の子の母親である小金井市のyongsugi 氏は市議会最終日に「朝鮮学校への『高校無償化』即時適用を求める意見書」を賛成多数で可決、政府・国会に向けて送付したとのお知らせが入りました!! よかった!!ほっとします。子どもたちに日本社会に対しての望み持たせることができます。」とツイート。
 だが、そこに日本人と思われる@powerpc970による「差別されてるというなら言い掛かりです」との心ない言葉が投げつけられる。
 そうした中、ツイッターのタイムラインには刻一刻と人々の「つぶやき」が流れてくる。「新しいツイートが○件あります」と・・・。
 この、小金井市のyongsugi氏の祈るような「つぶやき」と交互に、偶然にも私がツィッターを始めるきっかけになった孫崎氏のツイートが投稿されてくる。そこで言及されていたのは、何と「第二次朝鮮戦争」勃発の可能性だった。
 「20日CNNは『朝鮮半島での戦争への3つの道』掲載。著者は米国国防大学部長、英国IISS研究部長等歴任、日本通でもあるクローニン。3つの道は、(1)偶発的エスカレーション、(2)抑止の崩壊、(3)急激な北朝鮮体制崩壊。・・・・韓国の対応は従来より、攻撃的。エスカレーションが両国意図を越え進行の可能性。米国最大規模の日米合同演習など求めて来ているのはこうしたシナリオを想定の動き。菅首相殿、この深刻度をご理解いただいてるでしょうか」と。
 かりに韓国・朝鮮の両国が応酬を開始すれば、韓国の戦時統帥権を持つ米国は主体的に参戦し、日米同盟のもと、日本も戦時体制に組み込まれ、在日朝鮮人は「敵性外国人」(もっとソフトな言い方になろうが、中身は同じ)として苛烈な抑圧を被ることになろう。
 では、そんな中でこの私は、そのような仕打ちが不正きわまりなく、その不正を行っているのが日本政府であること、したがって日本人が自らの責任として阻止しなければならないことを知っていながら、なすすべもなく、真夜中にキーボードを叩いている。子どもの頃、学校で米国の黒人奴隷への差別、ヨーロッパのユダヤ人差別とナチによるホロコースト、何よりも日本のアジア侵略戦争など、とても人間の所業とは思えない数々の罪を学習したが、どこか遠い世界のことのようにも思ってきた。
 しかし、いま日本社会が在日韓国・朝鮮人に対して行っていることは、これらに劣らない差別だということだけははっきりさせておかなければならない。たぶん「歴史」になれば、その出来事を冷静に振り返ることができるのかもしれないが、意識していない限り、人間は自分の目の前で行われている差別にはなかなか気づけないものなのではないだろうか。
 このように昨年末、ツイッター上で在日の人々の「つぶやき」に接することができたのは意義深い経験だったと思う。そして、先にも引用させてもらったminsu615氏がクリスマスイブに発した次のつぶやきを私は忘れないだろう。
「隣で次女が『今日はサンタさんがプレゼントくれる日やで〜』と笑っている。 …一歩外へ出ると、子どもが学ぶ権利すらもらえず、戦って勝ち取らないといけない地である。その権利でさえも再びもぎ取られるという、そんな国に住んでいるんだよと、そろそろ伝えなければならない。」(12月24日)

2010年12月28日のツイート

2010年12月27日のツイート